炭鉱閉山に「敗戦」重ね 小竹町の戦争資料館 初代館長と作兵衛の交流示す2点初公開 [福岡県]

山本作兵衛作品「明治中期 筑豊ヤマの独身者」(右)と「ヤマの売店」の前に立つ武富慈海さん
山本作兵衛作品「明治中期 筑豊ヤマの独身者」(右)と「ヤマの売店」の前に立つ武富慈海さん
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 小竹町御徳の兵士・庶民の戦争資料館で、創設者の武富登巳男さん(2002年死去)を回顧する特別展の後期「初代館長の24年」が開かれている。旧産炭地の筑豊地域を「戦争、エネルギー転換で2度敗戦を経験した」とする武富さんの炭鉱への思いもうかがわれる品々が展示されている。

 未整理の段ボール箱から長男で副館長の慈海さんが見つけた炭鉱絵師の故山本作兵衛さんの作品2点を初公開。「明治中期 筑豊ヤマの独身者」「ヤマの売店」と題名が明記され、「本日ようやくできました」などと山本さんが記した武富さん宛てのはがきも数枚ある。いずれも1972~74年のものだ。

 両作品ともに一升入りの徳利(とっくり)が描かれている。「徳利のコレクターだった父が交流のあった山本さんに依頼して描いてもらったのだろう」と慈海さんは推測する。「ヤマの独身者」には「イロリの傍(そば)で茶碗(ちゃわん)酒」などと文章が添えられ、「ヤマの売店」では米や酒が量り売りされている様子が分かる。

 武富さんは、炭鉱労組運動の指導者だった故宮崎太郎さんを中心に設立された「筑豊炭鉱遺跡研究会」のメンバーで炭鉱関連資料も集めていたという。

 19日は1984年に亡くなった山本さんの命日。慈海さんは「国が進めた戦争のために石炭が掘られ、国によるエネルギー転換で閉山した。父は筑豊の特異性を思い、炭鉱にも強い関心を持っていたのだろう。作兵衛さんの絵が出てきて因縁を感じる」と話す。

 特別展では、戦地への慰問団に参加した歌手の故藤山一郎さん、従軍記者を経験した故入江徳郎さんら交流のあった人々との書簡集なども展示。25日まで(19、20両日は休館)。来館の際は電話で連絡を。同館=09496(2)8565。

=2018/12/18付 西日本新聞朝刊=

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