惨禍の記憶つなぐ旅 八幡大空襲体験者ら長崎訪問 北九州が目標、被爆の実相学ぶ [福岡県]

長崎原爆資料館を見学する八幡大空襲の体験者ら
長崎原爆資料館を見学する八幡大空襲の体験者ら
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今回の旅で、初めて長崎原爆資料館に足を運んだ参加者も少なくなかった
今回の旅で、初めて長崎原爆資料館に足を運んだ参加者も少なくなかった
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 長崎原爆の前日、今の北九州市八幡東区を中心に被災した「八幡大空襲」の体験者や、継承活動に取り組む住民ら約40人が1日、長崎市の長崎原爆資料館などを訪れ、被爆の実相を学んだ。北九州は当初、原爆投下の第1目標だったとされる。歴史的なつながりを感じる参加者が長崎の惨禍も学ぶ必要があると考え、今回の旅を初めて企画したという。

 八幡大空襲は1945年8月8日にあり、死傷者は福岡県内の空襲では最大規模の約2500人に上った。翌朝、原爆を載せた米軍の大型爆撃機B29は、八幡の数キロ東にある小倉に狙いを定めたが、大空襲の残煙で目標を確認できなかったため、次の目標だった長崎に向かったとされる。

 参加者は北九州と長崎の73年前と今を比べながら、さまざまな思いを口にした。八幡東区から参加した出口美佐子さん(90)は原爆投下当日、小倉にいて原爆搭載機とみられるB29が去るのを防空壕(ごう)で待った。原爆資料館で顔や上半身にやけどを負った被爆者、山口仙二さん(故人)の写真を見て「私がこのような姿になっていたかもしれない」と沈痛な表情を浮かべた。

 大空襲の証言を記録する聞き書きボランティア「平野塾」の出來谷(できや)通保代表(74)=同区=は、爆心地公園に残る被爆時の地層を見学し、八幡には戦争の惨状を伝える遺構が少ないことに改めて気付いた。1歳の時に大空襲に遭い、当時の記憶はない。「遺構がない以上、いかに言葉で伝えるかが大事。語り継ぐ使命を感じる」

 今回の旅行を発案した渡辺いづみさん(58)=北九州市小倉北区=は、八幡東区で地域の市民センター館長だった4年前、空襲の記憶を後世に残す必要性を感じ、平野塾を発足させた。今回は調整がつかなかったが、今後は長崎の被爆者団体や平和活動に取り組む人と交流を始めたいと考えている。「大空襲と原爆でつながる長崎から刺激を受け、体験をどう伝えるか、平野塾が今後どうあるべきか参考にしていきたい」と語った。

=2018/06/07付 西日本新聞朝刊=

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