54年前の聖火ランナー、東京五輪に期待 息子が約束「連れて行くからな」 [福岡県]

「今では素晴らしい思い出」と語る中嶋昭生さん。手に持つ当時の聖火トーチは宝物だ
「今では素晴らしい思い出」と語る中嶋昭生さん。手に持つ当時の聖火トーチは宝物だ
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1964年9月17日、八幡東区の八幡製鉄所(現新日鉄住金八幡製鉄所)付近を走る中嶋さんらの隊列(中嶋さん提供)
1964年9月17日、八幡東区の八幡製鉄所(現新日鉄住金八幡製鉄所)付近を走る中嶋さんらの隊列(中嶋さん提供)
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聖火ランナーを務めた後、副走者の高校生と一緒に中央で写真に写る中嶋さん(中嶋さん提供)
聖火ランナーを務めた後、副走者の高校生と一緒に中央で写真に写る中嶋さん(中嶋さん提供)
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 54年前の東京五輪の際、行橋市延永の京都保護区保護司会副会長、中嶋昭生さん(73)は、県内を横断した聖火リレーの走者の一人として参加した。中嶋さんは八幡東-戸畑間を力走。かつての聖火ランナーは、2年後の2020年東京五輪を心待ちにしている。

 聖火ランナーの話があったのは1964年3月ごろ。聖火リレーの県実行委員会から中嶋さんが通っていた八幡大(現九州国際大、八幡東区)にランナー選出の打診があった。大学近くの国道3号がコースだったからだ。

 中嶋さんは当時、2年生で野球部に所属。練習に熱中する毎日だった。あだ名は「班長」。「部で人をまとめるのがうまかったからかな」と中嶋さん。リーダーの素質もあり、スポーツマンの中嶋さんに大学が白羽の矢を立てた。

 ただ、中嶋さんの心中は複雑だった。「名誉だが、野球の練習がある…」。好きな野球が一時的にもできなくなる不安がよぎった。

■大役を果たす

 コースは八幡製鉄本事務所前(八幡東区)-旭硝子(がらす)正門(戸畑区)間の1・4キロ。4~5回の練習をこなした。聖火トーチの代わりにバットを手に持ち、高校生の副走者ら22人の隊列を率いた。中嶋さんは「聖火を見てもらうことが基本なので走る速度を厳しく注意された」と振り返る。

 本番を迎えた64年9月17日。コースに立つと、沿道は見物客が鈴なりだった。建物の屋上から声援が聞こえ、電信柱に登って眺める人もいる。重圧が頂点に達したが「走りきる」と覚悟を決めた。聖火を受け取ると、練習通りに駆けた。

 「隊列を崩さず、先導するパトカーを見ながら走った」と中嶋さん。無我夢中の中、緩やかな上り坂の先に次の走者が見えた。「責任が果たせる」。足取りは軽くなった。出発から約10分後。「五輪の灯」を引き継いだ。大役を果たした。

■今度は会場で

 中嶋さんの自宅にはガラスケースに入れた当時の聖火トーチや写真、ランナーの委嘱状など思い出の品が眠る。全てが宝物だ。

 今、選手の強化や競技場の整備といった話題に触れるたび、中嶋さんは、54年前の行橋市や北九州市の五輪を前にした盛り上がりを思い返す。

 前回の東京五輪の開会式はテレビで見たが、2年後は東京で見ることができるかもしれない。長男の昇平さんが「元気でいてくれよ。2年後の東京五輪に連れて行くからな」と約束してくれたからだ。「人ができない経験をさせてもらった。今度は実際に会場に行って見たい」。その日を楽しみにしている。

=2018/06/30付 西日本新聞朝刊=

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