2人だけの慰霊祭今年も 小倉南北区遺族会「戦争 歴史にしないで」 [福岡県]

黙とうをささげる宮崎賢二さん(中央)と佐藤義勝さん(右)
黙とうをささげる宮崎賢二さん(中央)と佐藤義勝さん(右)
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戦没者を祭る忠霊塔
戦没者を祭る忠霊塔
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 「悲しい歴史を二度と繰り返さないため、慰霊の営みを絶やさず、続けていきたい」

 終戦の日を迎えた15日、戦没者の遺族でつくる小倉南北区遺族連合会が、小倉北区黒原1丁目の平和公園で慰霊祭を開いた。遺族で参列したのは事務局長の宮崎賢二さん(75)=小倉南区=と佐藤義勝さん(80)=小倉北区=の2人だけ。戦後73年を経て、遺族たちには高齢化の波が押し寄せる。参列は昨年と同数にとどまったが、2人は平成最後の慰霊の営みに際し、思いを新たにした。

 北九州市では例年、各区主催で5月と10月に日露戦争なども含む明治時代以降の戦没者追悼式を開いている。8月15日には行政主催の行事はなく、遺族たちが鎮魂の集いを続けている。慰霊祭への昨年の参列者は、佐藤さんと別の男性の2人だった。

 慰霊祭は、佐賀の乱から太平洋戦争までの戦没者5157人を合祀(ごうし)する忠霊塔前であった。午前11時50分、ラジオで全国戦没者追悼式(東京)の中継が始まると、宮崎さん夫婦と佐藤さんは塔の前に立った。正午の時報に合わせて黙とうをささげ、天皇陛下のお言葉に耳を傾けた。

 宮崎さんが2歳のとき、父の一郎さんは戦死。1945年6月14日、乗っていた護衛艦が沖縄近海で攻撃され、帰らぬ人となったという。げたの職人として一家を支えた父の死。戦後は食料も乏しく、宮崎さんは「母は食うや食わずで、私と妹を育ててくれた」と振り返る。「戦争の記憶をどう語り継ぐか。難しいことです」と汗をぬぐった。

 長年参列してきた佐藤さんによると、20年ほど前は元気な遺族も多く「遺族会でお茶を配ったり、武道の演武奉納があったりして忙しかった」という。しかし、高齢化によって参加者は細り続ける。佐藤さんと一緒に昨年参列した男性は今年、姿を見せなかった。

 佐藤さんは忠霊塔に献花し「教科書で学ぶだけではぴんとこないでしょう。戦争を遠い歴史にしないため、若い人にも慰霊祭に来てほしい」と願った。

=2018/08/16付 西日本新聞朝刊=

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