戦死した兄支えた「特攻の母」 世代超え再開した交流 [福岡県]

大橋健二さんゆかりの手紙や写真などを見る中村祥子さん
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大橋郁夫さんが作成したポスター
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大橋郁夫さん=2011年ごろ撮影
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大橋健二さん
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蛭崎リウさん
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蛭崎まさ子さん
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 築上町にも「特攻の母」がいた-。太平洋戦争の神風特攻隊の先駆けとして戦死した隊員が生前、同町の下宿先の蛭崎(えびすざき)リウさんとまさ子さん親子(ともに故人)と深い交流を重ねていた。7年ほど前、隊員の弟が蛭崎さんの親族を捜し出し、世代を超えた交流が再開した。リウさんの孫で、まさ子さんの長女中村祥子さん(77)=同町高塚=は近く、隊員の故郷である滋賀県東近江市を初めて訪れ、隊員の遺書などがある同県平和祈念館を訪ねる予定だ。

 隊員の名は大橋健二さん。1943年11月から44年4月まで築城海軍航空隊(同町)で訓練に励み、蛭崎家に仲間の隊員とともに下宿。10月、鹿児島県の鹿屋航空基地から出撃し、台湾沖で亡くなった。享年19。

 2010年ごろ、健二さんの弟の郁夫さん(85)が、東近江市の自宅で亡くなった母親が人知れず保管していた手紙を発見。健二さんが戦死したことを知ったリウさんとまさ子さんが、大橋家に送ったお悔やみだった。

 手紙には、健二さんが「『ただいま』といってニッコリ笑っていらしたことは忘れられません」「夜遅く夜間飛行(訓練)で9時ごろ帰っていらしたら、おいしいお雑煮をしてあげますと、5人して喜んで食べてくださっていました」などと書かれていた。

 また、健二さんが幼児だった中村さんらのことを「美(みっ)ちゃん、祥(さっ)ちゃんといってかわいがってくださいました」「(子どもたちが)足に肩にまきついていました」など、家族の一員のような付き合いがつづられていた。

 郁夫さんは「蛭崎家の人にお礼を伝え、心の中で戦後処理をしたい」と、11年に中村さんら関係者を見つけた。連絡を受けた中村さんは「祖母や母から健二さんの話を聞いたことがなく、当時は3歳で記憶もなかった。郁夫さんからの突然の連絡に驚いたが、今では親類のおじさんのような存在」と語る。

 郁夫さんは、鹿児島県知覧町(現南九州市)で食堂を営み、特攻隊員の若者たちに慕われた「特攻の母」鳥浜トメさん(故人)のように、兄を支えてくれた親子らのことを後世に伝えようと決意。同年、中村さんの協力も得て「兄の軌跡」と題したポスターを作成し、築上町や東近江市で配布した。

 今でも手紙や電話で交流を続けている中村さんと郁夫さんは、「戦争という過ちを繰り返してはならない」と訴え続けている。

=2018/10/13付 西日本新聞朝刊=

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