コック長の娘、門司港駅復元に一役 名物洋食店「みかど食堂」 30年代の写真で内装再現 [福岡県]

みかど食堂の従業員の集合写真を手にする内山昌子さん。この写真が壁の模様の再現につながった。右の写真は厨房(ちゅうぼう)に立つ父・せん吉さん=北九州市門司区
みかど食堂の従業員の集合写真を手にする内山昌子さん。この写真が壁の模様の再現につながった。右の写真は厨房(ちゅうぼう)に立つ父・せん吉さん=北九州市門司区
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 かつて横浜、神戸と並ぶ国際貿易港として栄えた北九州市の門司港に、ひときわ強い存在感を放っていたレストランがあった。門司港駅2階で営業していた高級洋食店「みかど食堂」。JR九州による駅舎改修に伴い、往年の店舗も再現されることになったが、残された資料が少なく、作業は難航した。そこに大きな役割を果たしたのが、父親が同食堂のコック長だった内山昌子さん(78)=同市門司区=による提供写真だった。

 写真は1930年代にレストランの控室で撮影されたとみられ、髪をきれいに整えたウエーターやかっぽう着の女性従業員らと一緒に、最前列に座る内山さんの父・せん吉さんの姿がある。肉眼では無地にも見える背景の壁をデジタル処理したところ、花びらと葉を描いた模様が浮かび上がり、当時の内装の把握につながったという。

 45年6月の空襲で門司港の市街地にあった自宅を焼かれ、家族で着の身着のまま逃げ出した時の荷物に紛れていた数少ない父の写真。せん吉さんが翌46年に47歳の若さで亡くなった後、父と過ごした5歳までの記憶をつなぐ遺品として大切に保管してきた。「食堂につながる飾り付きの階段をお姫さま気分で上り下りしていたことを覚えている」と懐かしむ。

 当時、中国大陸に近い石炭の積み出し港としてにぎわっていた門司港には大手企業の社屋や宿舎が集中。重厚なたたずまいの駅舎内のみかど食堂は「街の社交の場」になっていた。「フィンガーボウル(手を洗う水を入れた器)も用意されたハイカラな雰囲気で、高そうなスーツに身を包んだ人たちが出入りしていた」と振り返る。店は駅舎開業時から81年まで続いた。

 戦後、石炭から石油へとエネルギーの主役が転換し、63年の合併による門司市の消滅や関門橋の開通もあって、「九州の玄関口」としての役割は薄れた。歴史的な建造物を残す観光地として再スタートした門司港で、内山さんはいま、往時を知る立場から地元在住のガイドとして活躍している。

 門司港駅舎の開業から100年余。思い出の詰まった駅舎の修復工事を見守りながら、開業を心待ちにしている。「国際港としてたくさんの人が行き交っていたころ、1日に200組の来店があった人気洋食店も3月に再オープンします」。10日の駅舎部分開業を控え、案内する声にも力が入る。

=2018/11/09付 西日本新聞朝刊=

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