大隈重信のルーツを探る(下) 山国川近くに居住か? [福岡県]

光専寺の本玄関にある菅原家の梅鉢の家紋を説明する第19代住職の菅原秀則さん(右)と第20代住職秀乗さん
光専寺の本玄関にある菅原家の梅鉢の家紋を説明する第19代住職の菅原秀則さん(右)と第20代住職秀乗さん
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光専寺本堂の内陣正面には、金箔(きんぱく)の上に漆を塗った柔らかい色の12個の梅鉢がある
光専寺本堂の内陣正面には、金箔(きんぱく)の上に漆を塗った柔らかい色の12個の梅鉢がある
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菅原道真の孫が創建したとされる犬丸天満宮(大分県中津市犬丸)。(左から)秋満克彦宮司と副宮総代の中尾和正さん
菅原道真の孫が創建したとされる犬丸天満宮(大分県中津市犬丸)。(左から)秋満克彦宮司と副宮総代の中尾和正さん
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 佐賀藩出身の大隈重信のルーツは、佐賀から久留米領大隈村(久留米市梅満町)まではつながった。今度は豊前国(福岡県東部から大分県北部)の番だ。築上町の郷土史家、尾座本雅光さん(73)らは、大隈が菅原道真の末裔(まつえい)と信じていたことや、元は菅原姓だったことを踏まえ、平安期に創建されたという道真とゆかりのある神社仏閣、古くからある菅原一族の調査から始めた。

菅公子孫の伝承残る

 大隈の祖先、菅原家泰がいつ久留米領大隈村に移ったかは不明だ。ただ、ひ孫の信良が亡くなったのは元和10(1624)年との記述が家系図にあり、戦国時代(15世紀末~16世紀末)とみられる。

 豊前国で千年以上の歴史あるという小倉北区の菅原神社、築上町の綱敷天満宮、大分県中津市の犬丸天満宮の3社を調べることにした。また、道真と関係があるかもしれない同じような菅原姓の寺院は、中津市の光専寺が見つかった。

 まずは光専寺を訪れた。本玄関に道真と同じ菅原家の家紋「梅鉢」、本堂の内陣正面の柱にも計12個の梅鉢、壁の複数の瓦にも梅鉢があった。寺院ではまず見かけない光景だ。道真の家臣が建立したとされるが、19代住職の菅原秀則さん(81)は「父親から『僧侶となった道真の弟が開祖』と聞いている」と言う。やっと道真ゆかりの人物の話が出てきた。

 3社はどうか。いずれも具体的な手掛かりはなかったが、犬丸天満宮では興味深い話が飛び出した。秋満克彦宮司(65)によると、氏子の1人が菅公の子孫と話していたという。近くにはかつて「嘆きの浜」という地名があった。秋満宮司は「道真が子どもを残して大宰府へ旅立ったのではないか」と思いを巡らせる。

 光専寺も犬丸天満宮も福岡、大分の県境を流れる山国川に比較的近い場所にある。尾座本さんは「(県境に近い)豊前市・築上郡から中津市にかけた場所に大隈の先祖が住んでいた可能性がある」と推測した。

      ◇◇◇

 それでは、山国川周辺から大隈村まで、スムーズに移動できるのか。

 梅満町は久留米市の中でも筑後川にほど近い場所だ。佐賀市の大隈重信記念館の江口直明館長(71)は「戦国時代は治安が悪い。(現在の中津市と日田市を結ぶ)日田往還を通り、舟で筑後川を下ったのではないか」と、話していた。

 江戸後期の思想家、頼山陽は日田から中津に移動するのに2日かかっている。中津市教育委員会は「同じ程度の日数がかかったのではないか」とみる。さらに日田から久留米まで舟を使えば1日、長くても2日あれば着くことになる。

 「古代官道の西海道や長崎街道、秋月街道、日田往還を通じて、豊前国と筑前国、筑後国の地域的なつながりはあった」と語るのは、中世史に詳しいみやこ町歴史民俗博物館の木村達美学芸員(54)。「資料がなくても、大隈の先祖が豊前国に住んでいたという可能性までは否定はできない」と言う。

 今回、大隈のルーツを具体的に明らかにするところまではいかなかった。しかし、尾座本さんらは、早稲田、慶応の創設者とゆかりがありそうな豊前国は「文化の先進地」というロマンを追い求め、これからも調査を続けていく考えだ。

=2019/02/16付 西日本新聞朝刊=

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