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彦山道歩き小郡を知る 「史跡ハイキング」に参加 古戦場、平城、「山伏さん」…歴史と暮らしに思いはせ [福岡県]

稲穂が風に揺れる音を聞きながら、彦山道を行く参加者たち
稲穂が風に揺れる音を聞きながら、彦山道を行く参加者たち
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道端の「山伏さん」は手厚い供物に囲まれていた
道端の「山伏さん」は手厚い供物に囲まれていた
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 小郡市を車で走ると、あちこちで遺跡の標識案内板を目にする。意外に思ったのは市役所横の「大原古戦場」。いくつか石碑が立つ公園のような場所が、古戦場? 疑問がふくらんできた頃、市埋蔵文化財調査センターが9月下旬に「史跡めぐりハイキング」を開くと知った。住宅街と田園風景が広がる小郡市に、どんな歴史があるのか参加してみた。

 小郡市の歴史を熟知した「史跡案内ボランティア友の会」のガイドと歩くハイキングは年に数回開かれている。今回のテーマは「彦山道~北回り」。修験道の英彦山信仰があつかった佐賀藩(現在の佐賀、長崎県)では、英彦山参りの際に現在の小郡市内を通り、その道は「彦山道」と呼ばれたという。当時の参詣客を思いつつ、道沿いの歴史スポットもたどるのだ。

 市役所横の祇園神社を出発すると、早速、気になっていた「大原古戦場」跡へ。古戦場は1359年、北朝と南朝がぶつかった「筑後川の戦い」(大保原合戦)の舞台だった。

 計10万人もの軍勢が戦ったという案内板を読んでいると-。「北軍6万、南軍4万と言いますが、ここでそんなに人を集めることができたかな。物語としては面白いですけどね」とガイドの高木保幸さん(84)が通説に異を唱える。一方、友の会の田中宏文会長(75)は「でも夜半から朝方の短時間で5千人が死ぬ激戦だったからこそ“日本三大合戦”と言われたんです」と別の見方も提示する。ガイドたちは最新の研究にも気を配りつつ、ハイキングの企画を練っているという。熱い歴史談議も、その勉強成果の一端なのだ。

 自動車が行き交う国道を背に、住宅街へ。ぽっかり空いた芝生地の前には「大板井城跡」の案内板がある。1444年ごろに築かれた城だが、山地の少ない小郡らしく平たんな平城(ひらじろ)。よく見る「城」のイメージとは結びつかない。

 宅地を抜け、田のあぜ道を進む。収穫直前、こうべを垂れた稲穂が地平を黄金に染める。江戸時代、彦山道を行く旅人の目に映ったのは、こんな光景だったろうか。

 道すがら、そこかしこで地蔵を目にする。出発して約2時間の小郡市井上にあったのは猿田彦大神の石造物。猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたことから「行路安全の神」として信仰を集める。地蔵や猿田彦に見守られながらの歩みだが、運動不足の身にはそろそろ疲れがのしかかってきた。

 「ここは注目ですよ」。田中会長の大きな声にハッとする。小郡市山隈の道端にあったのは一見、花や茶などがきれいに供えられたお地蔵さま。でもよく見ると、片脚を折り曲げ、げたを履いている。「地元では『山伏(やんぶし)さん』と呼ばれ、毎年祭りもあるんです」。いつのことか分からない昔、ここで行き倒れた山伏がいた。地元の人は手厚く葬り、石像を作って供養したという。「山伏さん」は、人々が確かに彦山道を行き来した“証人”なのだ。

 出発から約3時間半、約6キロを歩いて甘木鉄道山隈駅(筑前町)でゴール。「佐賀から英彦山まで、参詣客はどこに泊まったんですか」と尋ねると、田中会長は「夜明けから日暮れまで歩き、英彦山のふもとに泊まったんでしょうね」とにっこり。数十キロを1日で! どうやら現代人の私は、遠くから遥拝(ようはい)するのが精いっぱいのようだ。

    ◇      ◇

 次回は11月18日午前9時半、甘木鉄道松崎駅前を出発して小郡官衙(かんが)遺跡でゴールする「まほろばの道ハイキング」。参加無料。

=2017/10/06付 西日本新聞朝刊=

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