伊能忠敬の「宝蓋松」再び 没後200年、測量日記の十輪院に植樹 大任町 [福岡県]

伊能忠敬が訪れた十輪院に植えられた2代目の松
伊能忠敬が訪れた十輪院に植えられた2代目の松
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1923年に撮影された「宝蓋松」とみられる大きな松
1923年に撮影された「宝蓋松」とみられる大きな松
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伊能忠敬の測量日記の一部。4行目に「下今任村 十輪院にて小休 宝蓋松阿里」の記述がある
伊能忠敬の測量日記の一部。4行目に「下今任村 十輪院にて小休 宝蓋松阿里」の記述がある
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 江戸時代に全国を測量した伊能忠敬(1745~1818)が、「測量日記」に記した真言宗の古寺「十輪院」(大任町)の松の巨木「宝蓋(ほうがい)松」を再現しようと、地元有志が新たな松を境内に植樹した。13日午後2時からの没後200年記念行事で披露され、伊能が歩いた当時の景観の一端がよみがえる。

 十輪院は1717年創建。伊能は九州を対象にした第8次測量中の1812年、現在の大任町を訪れた。同年7月14日(新暦の8月20日)の「測量日記」には、測量隊が英彦山から現在の添田町を経て北に進み「下今任村 十輪院にて小休 宝蓋松阿里(あり)」と記されている。

 1923年の写真には、樹高十数メートルの松の巨木が写っている。名誉住職の藤本弘文さん(81)によると、以前はこの松の根元のほこらに本尊の地蔵尊が祭られていたという。田川郷土研究会の中野直毅会長(64)は「宝蓋は仏像の頭上にかざす傘。本尊を覆うように伸びた松を宝蓋松と呼んだのではないか」と話す。

 宝蓋松は約50年前、田川地域の炭鉱閉山に伴う鉱害復旧工事や松くい虫の影響で枯れた。2代目となる松は樹高約4メートルで、初代があった場所から約10メートル離れた位置に植えられた。藤本さんは「伊能さんの没後200年の節目に松をいただきありがたい。大切に育てていきたい」と述べた。

=2018/05/12付 西日本新聞朝刊=

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