「博多べい」ルーツは朝鮮? 秀吉の「町割り」で誕生 南区の立石さん天神で写真展 国内外で30点撮影 [福岡県]

韓国・河回村の土塀。建物と塀が一体化している
韓国・河回村の土塀。建物と塀が一体化している
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熱田神社の信長塀
熱田神社の信長塀
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櫛田神社に残る「博多べい」
櫛田神社に残る「博多べい」
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立石光世さん
立石光世さん
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 豊臣秀吉の復興事業「博多町割り」によって生まれたとされる土塀「博多べい」をテーマにした写真展が4月20~23日、福岡市中央区天神の市赤煉瓦(れんが)文化館で開かれる。博多べいのルーツを探ろうと、同市南区のグラフィックデザイナー立石光世(こうせい)さん(59)が韓国や国内で土塀を撮影した30点が展示される。入場無料。

 戦国時代末の戦乱で博多は焼け野原となり、一刻も早い復興を目指して焼け石や焼け瓦を塗り込んで造った博多べい。博多町割りに携わった豪商、島井宗室(そうしつ)の屋敷跡にも残っていたが、戦後の再開発で取り壊されそうになった。地元の保存運動が実り1970年、同市博多区の櫛田神社に移転、復元された。

 立石さんはグラフィックデザイナーとして福岡や博多をPRする仕事に携わり歴史を勉強。博多べいについても学び、韓国の時代劇に似た土塀が出てくることからルーツに興味を持った。昨年7月からまず国内を取材旅行し、熱田神宮(名古屋市)の信長塀など、瓦などを塗り込んだ土塀を訪れた。信長塀は土と石灰を油で塗り固め瓦を何枚も重ねた造りだった。

 韓国・安東(アンドン)市の河回(ハフェ)村にも石や瓦を積んだ土塀があった。一部の土塀は家屋と一体化していたという。河回村は李氏朝鮮時代の伝統家屋が残り、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されている。

 博多べいと信長塀、河回村の土塀などとの関連は定かではないが、立石さんは「宗室は秀吉の朝鮮出兵に反対した。博多べいのルーツは朝鮮半島にあり、友好を願った宗室が博多べいを造ったという仮説を立てています」と話している。

=2017/03/29付 西日本新聞朝刊=

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