山笠庶民目線の古文書 江戸期の人形批評や藩への不満 福岡市の民家で発見 [福岡県]

標題に重ねて「この山見事なり」と書いた紙を貼り付けている
標題に重ねて「この山見事なり」と書いた紙を貼り付けている
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天明元年から82年間の山笠史を記録した古文書
天明元年から82年間の山笠史を記録した古文書
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 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産となった「博多祇園山笠」の江戸時代の様子を記録した古文書が福岡市の民家で見つかった。1781(天明元)年から82年間の標題などを記録した年代記で題名はない。福岡市博物館の宮野弘樹学芸員によると、山笠人形の良しあしや飾りを質素にするよう命じた福岡藩への庶民の不満が書かれており、町民目線での感想が多いのが特徴。山笠研究に新たな一ページを加える史料と言えそうだ。

 古文書を所有しているのは同市南区の中村美恵子さん(84)。実家は以前、櫛田神社に近い博多区祇園町にあり、父や弟は山笠に参加していた。父の遺品を整理しているうちに見つけ、弟の泰憲さん(76)=同区=がつてを頼って昨年9月、市博物館に持ち込んだ。

 古文書は標題を暦年で記録した「山笠番付」と呼ばれる形式。標題の横には飾った人形の名前、空いた場所にその年に起こった天災や藩主の動向、米価、はやり病などが簡潔に書き加えられている。こうした形式は博多年行司(筆頭町役人)の公式文書「松囃子(ばやし)山笠記録」(櫛田神社蔵)など他の文献にも見られる。

 ただ、公式文書とは違い、今回見つかった古文書には複数いる筆者の率直な感想がつづられている。天保年間(1830~44年)以降に、人形の出来不出来についての批評が頻繁に登場。1850(嘉永3)年には、恵比須流(ながれ)(当番は竪町上、竪町中、蓮池町)の標題の上にわざわざ細長い紙を貼り付け「この山見事なり」と記している。

 1843(天保14)年には、藩の命令への不満が書かれている。水野忠邦の天保の改革の余波で絹織物だった人形の衣装を木綿にしたところ、祭り期間中に大雨が降り続いた。町民たちが「祇園様のご機嫌を損ねてしまったとうわさした」と記述している。

 ほかにも、山笠の絵図が江戸時代に販売されていたことや、天然痘が流行した際に城下町の福岡で疫病封じを願う「疱瘡(ほうそう)山笠」が奉納されたという記事もある。宮野学芸員は「他の史料にはない記述があり、山笠史の充実という面で貴重」と話している。

=2018/03/01付 西日本新聞朝刊=

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