128年続く「沖ノ島ごもり」 福津・手光地区 祭壇設け遥拝 疫病退散に感謝の祈り [福岡県]

玄界灘の方角に向かって祭壇をしつらえ、沖ノ島を遥拝する福津市手光の住民たち
玄界灘の方角に向かって祭壇をしつらえ、沖ノ島を遥拝する福津市手光の住民たち
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 福津市の農村部、手光(てびか)地区の須賀神社で20日、住民が沖ノ島を遥拝(ようはい)する「沖ノ島ごもり」があった。住民たちは玄界灘の方角に祭壇をしつらえ、神職の祝詞を聞きながら、はるか沖合の島に祈りをささげた。

 宗像地区の農村ではかつて沖ノ島ごもりが各地で行われていたが、現在も続いている例は珍しい。手光では田植え前の苗代ごもりを兼ねて、128年にわたり大切に受け継がれている。約20人の住民が祭壇に米や野菜を供え、沖ノ島の方角を拝して地域の安泰と稲作の無事を祈った。

 1890(明治23)年、旧宗像郡一帯で赤痢が大流行した。手光でも子どもを含めて次々にうつり、村外れの小屋に病人を隔離して治まるのを待つしかなかった。「このままでは村が滅びる。沖ノ島様に参ろう」。島そのものが神として信仰されていた沖ノ島に、数人の村人が小船を頼んで渡り、疫病退散を祈った。帰り着いた後、赤痢は次第に治まっていったという。

 手光の人々は沖ノ島がかすかに見える小高い丘に集まり、念願がかなった「満念願(まんねんがん)」の遥拝を欠かさなかった。昭和に入って須賀神社に場所を移したが、遥拝行事は「沖ノ島ごもり」として現代に続く。

 赤痢の後、手光の人々は全員が米を出し合って医師を雇い、病気のときは無料で診察を受けられる「定礼(じょうれい)」制度を始めた。同様の制度が宗像地区にはすでに、江戸時代からあった。

 昭和に入って国が健康保険制度を始めるにあたり、手光の地を視察したという。人々が安心して暮らせる制度のルーツには、沖ノ島ごもりにかける住民の懸命な思いがあった。

=2018/05/21付 西日本新聞朝刊=

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