6・19福岡大空襲から73年 戦時の駅弁包装展示 福岡市博物館で「戦争とくらし」展 [福岡県]

石炭の増産や虫歯予防を呼び掛ける戦時ポスター
石炭の増産や虫歯予防を呼び掛ける戦時ポスター
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空襲の惨状が書き込まれた日記。右ページの右上に「六月十九日」の日付が見える
空襲の惨状が書き込まれた日記。右ページの右上に「六月十九日」の日付が見える
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 1945年6月19日の福岡大空襲から73年。福岡市早良区百道浜3丁目の市博物館で、戦争関連資料を展示する「戦争とわたしたちのくらし」が開かれている。

 毎年この時期に博物館が開催しており、今回は各種印刷物に載った標語を中心に約80点を展示している。

 3月に寄贈を受けた福岡市の男性が集めていた戦時中の駅弁ラベル38点を初展示。折尾駅(北九州市)の「かしわ飯」には食料節約のため「本日は肉なし日」とスタンプが押してある。 輸送力を維持するため一般市民の鉄道利用自粛を求める「この一年旅行は止めだ!!」と書いた包み紙のほか、「たのむぞ石炭」と呼び掛ける前線の兵士の絵が載った戦時ポスターもある。

 8月26日まで。入館料は大人200円、高校大学生150円、中学生以下無料。

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「B29来襲サツサツと音して焼夷弾投下」 女学校教員の克明な日記初公開

 27回目となった「戦争とわたしたちのくらし」展では、女学校の教師だった福岡市博多区の男性が福岡大空襲の惨状をつづった日記帳を初めて展示した。空襲で大きな被害を受けた地域では日記も焼けてしまうことが多く、学芸員の野島義敬さん(34)は「貴重な資料。少しでも多くの人に見てもらいたい」と話している。

 日記は、九州高等女学校(現・福岡大付属若葉高)の教師だった山崎又雄さんが生前に書いたもの。数年前、親族から700点以上の遺品の寄贈申し出を受け、博物館が預かっていた。野島さんが昨年末、ノート十数冊に記された日記を精査していて、空襲の記述を見つけた。

 展示されているのは1945年1~12月分の1冊(縦16・5センチ、横12・5センチ)。福岡大空襲があった6月19日のページには「夜十一時空襲警報と同時にB29来襲、一回来るとサツサツと音して焼夷弾を投下し第一に新柳町発火」などと空襲の様子を記録。20日には「学校へ行電車なし、天神町全部、赤坂門、兵営と下ノ橋全部惨たんたり」と、冷静に被害を見極めながらも、焦土を前にした心情がにじむ。

 30万件以上の収蔵品があるが、福岡大空襲の記述が見つかっている日記はこの1点のみ。8月15日の終戦のページには「残念だ。米軍が上陸して来るらしく不安だ」という内容の記述もあったという。野島さんは「事象が時系列で冷静に記録され、当時の情報や世相が記されているなど、大変貴重だ」と評価。「山崎さんが歩いた焦土を想像し、戦時の暮らしに思いをはせてもらいたい」と話した。

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【ワードBOX】福岡大空襲

 福岡市勢要覧などによると、1945年6月19日午後11時すぎから約2時間、221機の米軍B29が福岡市に焼夷(しょうい)弾を投下した。被災戸数は1万2693戸。死者902人、負傷者1078人、行方不明者は244人に上った。当時の奈良屋、大浜、冷泉、大名、簀子の5校区に被害が集中した。

=2018/06/19付 西日本新聞朝刊=

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