学校見守ったケヤキ伐採「思い出残そう」児童の決意 全校で出し合ったアイデア [福岡県]

ケヤキでお守りを作り、募金活動をした神興東小の「ケヤキっ子」たち。後ろは3代目のケヤキ
ケヤキでお守りを作り、募金活動をした神興東小の「ケヤキっ子」たち。後ろは3代目のケヤキ
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安部清美先生
安部清美先生
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 福津市津丸の神興(じんごう)東小の児童が、校庭のシンボルとして親しまれながらも枯れてしまったケヤキを時計の材料などに加工するための募金をしている。児童を見守り続けた大木の記憶をしっかり後世に残す決意だ。

 神興東小は明治期に開校した「神興小」の流れを組む。1980年、地域の人口増に伴って「神興小」と「神興東小」に分かれた。旧神興小の敷地は神興東小に引き継がれ、校庭にあった初代ケヤキも大切に育てられた。87年には、初代ケヤキの隣に2世が植樹された。枯れた初代の分も葉を広げ、校庭で遊ぶ子どもたちを見守った。その後、3世も隣に植樹された。

 去年、2世は葉を半分しかつけなかった。今年は全く芽吹かず、専門家に診てもらった結果、伐採することが決まった。児童が名残を惜しむなか、9月半ばに伐採された。「2世の思い出を残そう」。6年生を中心に全校でアイデアを出し合った。机、跳び箱、鉛筆…いろんな案が出た。アイデアを実行するため加工費を募ることになった。

 2世の「形見」の樹皮を小さく割り、小袋に分けてお守りを作った。「『これ2世だね』と、卒業生に懐かしんでもらえたら」と徳永奈愛さん(12)。作りながら新たなアイデアへの気付きもあった。麻生春菜さん(12)は「皮なのに堅くてなかなか割れなくて大変だった」と振り返り、「丈夫な木だから時計や学校、地域の看板にすることになった」と宮原有弓佳さん(12)は話す。

 10月末、同小で開かれた地域合同の文化祭「じんとう祭」で募金を呼びかけ、お守りを配った。泉瑛斗君(11)は「地域の方々が理解してたくさん協力してもらった」とうれしそうに笑う。卒業生を中心に加工費を集める募金は継続中で、次の苗木も植樹するという。

 問い合わせは神興東小=0940(43)0775。

「寄り添う教育」実践 教師の記憶

 「一人の子を粗末にする時 教育はその光を失う」。神興(じんごう)東小の前身の旧神興小では、大正から昭和にかけて、安部清美さん(1900~81)という教員が児童に寄り添い続ける教育活動を行った。

 東郷村田熊(現在の宗像市田熊)出身の安部先生は父が日露戦争で戦死し、苦学して師範学校を出た。19歳で神興尋常高等小学校の訓導(教員)になるが、1920年秋、担任していた4年生の金森イソさんが運動会練習で急死する。リレーのバトンを握りしめたまま動かなくなったイソさんを、駆けつけた家族が抱きしめて泣き叫んだ。

 子どもの体調に気付けなかった自責の念から自死をも考えた安部先生は、子どもや親と心を通い合わせる教育を探り始めた。

 安部先生は両親が田畑で忙しく、子守をせざるを得ない児童のため、教室に畳を敷いて幼い弟妹を連れて登校できるようにした。裏山で児童と一緒に遊び、貧しい子の学用品代に給料をつぎ込んだ。児童の学力は上がり、その教育法を学ぼうと全国から年3千人もの参観者があったという。

 児童が暮らす農村全体の所得を上げようと青年たちにも勉強を呼びかけて農作業の改良を図り、村全体の発展にも努めた。

 父が教え子だった藤田勝輝さん(79)は「第2次世界大戦に出征する父を、安部先生は抱きしめて涙を流したという。教え子をいつまでも大切にしてくれた」と話す。ケヤキっ子たちが育つ神興東小には、こんな先生の記憶が残る。

=2018/12/03付 西日本新聞朝刊=

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