福間病院に「緑の都市賞」 江戸時代からの松林保全 3万坪に850本、治療にも一役 [福岡県]

病院の広々とした庭に残る松林。自然林の風合を損なわないように手入れをしているという
病院の広々とした庭に残る松林。自然林の風合を損なわないように手入れをしているという
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樹齢500年と伝わる盆栽松と佐々木好子さん
樹齢500年と伝わる盆栽松と佐々木好子さん
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 松林に囲まれた自然の中で自由開放療法を行う精神科「福間病院」(福津市花見が浜)が、「第38回緑の都市賞」国土交通大臣賞に選ばれ、11月に都内で表彰式があった。江戸時代に整えられ、戦前には炭鉱王の別邸となり、終戦直後は米軍将校クラブとして利用されてきた松林の地。時代の変遷を見守り続け、今は病と向き合う患者を包み込んでいる。

 福間病院には3万坪の敷地を囲むように約850本の松がある。高さ30メートルを超す木もあり、松の遺伝子を残すため次世代の育苗もしている。

 一帯の松林は、初代筑前藩主の黒田長政が命じ現在の新宮町から古賀市、福津市まで玄界灘沿岸に植樹させたと伝わる。防風防潮の役割のみならず、住民は燃料として松葉を集め、漁師は海上から特徴のある松を目印に網を入れた。

 大正時代、筑豊の炭鉱王・堀三太郎がこの地に別荘を建て、松林の風景を庭園や散歩道としてめでたと伝わる。さらに時代が下り、終戦直後になると別荘は米軍に接収され進駐軍将校が出入りするようになったが、松林と純和風の建築物は保たれてきた。

 1953年に将校クラブが解散。55(昭和30)年、精神科医の佐々木勇之進さん(1925~2006)が、この地に病院を開いた。

    ◇      ◇    

 開院当時は、高さ40メートルにもなろうかという大松があったという。漁師が海上から戻るための目印にしていた一本だったが、雷に打たれ折れてしまった。「この一帯の主のような木だったので、神職を呼んでおはらいをしてもらったことを覚えています」。佐々木さんの妻で現在は病院運営法人の専務理事を務める好子さん(85)はこう振り返る。

 「一木一草たりといえども これことごとく 治療の道具である」-

 中庭に立つ石碑には、佐々木さんの医療者としての信念が刻まれている。閉鎖空間での治療が当たり前とされていた精神疾患。だが、緑あふれる敷地に可能性を感じて、医療者が常に患者を見守る形で開放療法に挑んだ。堀の元別荘の座敷に患者と医療者が一緒に住み、早寝早起きの生活リズムと心身を整えていった。

 松林に抱かれた広々とした庭で患者が散歩を楽しみ、職員が病棟から病棟へと行き交う。松の枝に異常があると、誰かがすぐに気づいてくれる。好子さんは「受け継ぎ、守ってきた松林の風景が評価されたことは、本当にうれしいです」と話した。

=2018/12/15付 西日本新聞朝刊=

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