平和台を創った男 岡部平太伝(2)科学の目 マラソン強国の礎築く [福岡県]

岡部平太(上段左から4人目)と一緒に記念撮影に納まる金栗四三(上段右から2人目)
岡部平太(上段左から4人目)と一緒に記念撮影に納まる金栗四三(上段右から2人目)
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 手元に古びた録音テープがある。岡部平太の孫、大森みどり(68)=横浜市=が自宅に保存していた。マラソン選手育成の功績を認められ、岡部が1963(昭和38)年に朝日賞(朝日新聞創設の賞)を受賞した時のスピーチだ。

 この時、祝辞を述べたのが金栗四三(かなくりしそう)。日本初のオリンピックマラソン選手で、今年のNHK大河ドラマ「いだてん」のモデルでもある。岡部とは同い年で、当時71歳だった。

 2人は50(昭和25)年に「オリンピックマラソンに優勝する会」を結成。ボストン・マラソン優勝者の田中茂樹(87)をはじめ、多くの名選手を輩出した。日本が「マラソン強国」への道を歩む礎を築いたのが、この「優勝する会」だった。

 金栗は、会の設立を「岡部君の発案であります」と明かしている。岡部なくして日本マラソンの隆盛はなかったのだ。

 会は年に3回ほど福岡市などで合宿を開いた。岡部はそこで、選手の疲労回復を促すための科学的調査を提案する。嘉麻市にあった三井山野炭鉱の研究所の協力を得て、走る前後の尿や血液を採取。その結果、マラソンで1時間半を走る疲労度が、炭鉱労働で最も激務だった木材運搬に匹敵することが分かった。

 会の1期生だった田中は振り返る。

 「合宿にすき焼きが出て驚いていると、岡部先生は『疲労回復には食事と睡眠が一番だ。食え食え』と笑っていた。精神論ばかりの時代で、そんなことを言う人は初めてだった」

 現在普及している高地トレーニングも岡部の発案だった。

 会は、毎年春のボストン・マラソンで3選手を優勝させたが、真夏の五輪での成績は芳しくなかった。そこで岡部が注目したのが、60(昭和35)年ローマ五輪の覇者、アベベ・ビキラだった。標高が高い母国エチオピアでの生活が心肺機能を高めたという説を確かめるべく62年、単身で現地に飛んだ。

 金栗は、岡部が提案した科学的な調査やトレーニング法について、祝辞でこう述べている。

 「私は今まで長い間、マラソンをやって多少やったこともあるけれども、本当に真剣にやろうと発案して実行したのは、岡部です」

 そして、練習や実戦の舞台となったのもまた、岡部が創設した平和台陸上競技場だった。

 =文中、写真とも敬称略

※小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」(著者・橘京平、幻冬舎刊、1,200円)が好評発売中

=2019/01/08付 西日本新聞朝刊=

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