「源為朝の墓!?見~つけた!!」 朝倉高の史学部員 探索の様子を動画配信 [福岡県]

源為朝の墓などを調べた動画のパソコンを手にする北嶋阿弥部長(左)と本田詠咲副部長
源為朝の墓などを調べた動画のパソコンを手にする北嶋阿弥部長(左)と本田詠咲副部長
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史学部が公開する動画の中で、源為朝の伝承が残る墓を見つけて撮影した場面
史学部が公開する動画の中で、源為朝の伝承が残る墓を見つけて撮影した場面
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 朝倉市の朝倉高史学部が平安末期の武将、源為朝や母の「墓」との言い伝えが残る史跡を朝倉市と東峰村で確認し、約2年かけた調査を6分半の動画にまとめてインターネット動画サイト「ユーチューブ」で公開している。少人数ながら部員が粘り強く住民に聞き取りを進めて発見に至った苦労が記録され、興味深い内容に仕上がっている。

 為朝は武勇で知られるが粗暴な性格が災いし九州に追放され「鎮西八郎」を名乗ったという。全国や九州各地に伝承や伝説が残る。朝倉市や東峰村にもあり、江戸時代の学者、貝原益軒編さんの「筑前国続風土記」など古文書や古地図などに本人や母の墓、為朝の馬の塚と伝わる史跡があると記述されているが、その場所は不明だった。

 この謎に興味を抱き、挑み始めたのは2017年3月。4人で記述の確認に乗り出し、最初に探したのは為朝の母の墓。古文書に東峰村の小石原付近とあるのを手掛かりに約5カ月間、住民に聞き取りし、母の墓と伝えられる石の墓にたどり着いた。この成果は同年12月の全国大会「地域の伝承文化に学ぶ」コンテストの学校活動部門で優秀賞に輝いた。

 その後、部員は2年生の北嶋阿弥部長(17)と本田詠咲副部長(17)の2人になったが、残された為朝の墓探しをやり遂げようと発奮。18年2月に調査を始めたが、古文書などには朝倉市の上秋月の地名があるだけ。2人は「考えるより歩く」をモットーに、顧問の泉信至教諭が運転する車で休日を使って地域を訪ね、約20人から聞き取りした。その努力が実ったのは同年10月。高齢男性が近所を次々に紹介してくれた時、別の男性が「知っている」と案内してくれた。そこには為朝が名乗った「鎮西様」と呼ばれる石の墓があった。さらに約50メートル離れた所で馬の塚と伝わる石の史跡も発見した。

 動画のタイトルは「為朝伝承の聖地・朝倉」。「朝倉は為朝と非常に縁深い希少な土地柄」という分析をして題名にした。本田副部長は「為朝の墓付近は神秘的で感動した」と言い、北嶋部長は「(調査の時に)住民が優しく温かく応じてくれた」と感謝する。調べる喜びを知り自信をつけた部員に、泉教諭は「長期に調査を進める中で成長が感じられた」と目を細める。

 史学部は今年5月、東京で開かれる日本考古学協会の「高校生ポスターセッション」でも「為朝と朝倉」を研究発表する予定だ。

=2019/01/20付 西日本新聞朝刊=

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