GW前「令和」観光客増に備え 解説員ら「梅花の宴」学ぶ 古都大宰府保存協会が研修会 [福岡県]

大宰府展示館の「梅花の宴」のジオラマの前で、ボランティア史跡解説員に万葉集や大伴旅人などについて話す森弘子さん(中央)
大宰府展示館の「梅花の宴」のジオラマの前で、ボランティア史跡解説員に万葉集や大伴旅人などについて話す森弘子さん(中央)
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 太宰府市の「古都大宰府保存協会」は11、12両日、大宰府展示館でボランティア史跡解説員グループ「くすのき会」(約70人)を対象に研修会を開いた。新元号「令和」の発表以降、市内への観光客が急増。ゴールデンウイークには、旅行代理店10社以上が計150件(観光バス1台を1件とカウント)以上の史跡解説を同協会に予約している。史跡解説員に令和ゆかりの「梅花の宴」などを再認識してもらおうと企画した。

 講師は森弘子太宰府発見塾長が務めた。1991年に同展示館10周年で作られた「梅花の宴」のジオラマの横で、森さんは「ジオラマが約30年ぶりに日の目を見てうれしい」と述べ、宴参加者の席順や衣服復元など当時の苦心談を披露した。

 「令和」発表当初、一部メディアが「梅花の宴を催した大伴旅人邸跡とされる坂本八幡神社」と報じた点には、旅人邸跡の坂本八幡神社説を最初に唱えたのは1952年の竹岡勝也九州大教授と指摘。「竹岡先生は『考えられないこともない』とされており、断定はしていない」と強調した。

 その上で、「旅人邸跡の可能性がある」と同説から50年後に提起された政庁跡東の月山地区官衙(かんが)(役所)跡や、菅原道真公が住んだとされる「府の南館」(現・榎社)と政庁前を南下した大路を挟んで反対の東側とする2説も紹介した。

 参加者からは「梅花の宴に政治的な背景はあったのか?」など質問が相次いだ。くすのき会の大場明会長(70)は「解説員で知識に差があり、思い入れも違う。聴いた側の認識が異なってはいけないので、基本的な史実や解釈は統一した方がいいと思っていた。勉強になりました」と語った。

=2019/04/14付 西日本新聞朝刊=

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