「天神の母」路上から人生見つめ45年 生き方広がり深まる悩み 易者・野田エツコさん [福岡県]

長年使った仕事道具を手にする野田エツコさん。悪天候でも45年間通い続け、長く休んだのは福岡沖地震による福岡ビル改修中だけだという
長年使った仕事道具を手にする野田エツコさん。悪天候でも45年間通い続け、長く休んだのは福岡沖地震による福岡ビル改修中だけだという
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「天神の母」として街頭で占う野田さん。リーマンショック後は男性客の姿が目立ちはじめた=2009年ごろ
「天神の母」として街頭で占う野田さん。リーマンショック後は男性客の姿が目立ちはじめた=2009年ごろ
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 3月上旬の夜、福岡・天神の「福岡ビル」(福ビル)は閑散としていた。ビルの取り壊しを前にテナントの多くは退去。地下で営業している数少ない飲食店から酔客の騒ぎ声がこだまするだけだった。

 ただ、ビルを出るといつもと変わらない風景が広がる。バスを待つ高校生、家路を急ぐサラリーマン、別れを惜しむカップル…。しかし、この街を見続けたあの人の姿はなかった。

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 「福ビルも建て替えられる。そいぎ、どかんといかんくなったんよ」

 そう語る、あの人とは野田エツコさん(80)だ。名前を聞いてすぐピンとくる人は少ないだろう。ただ、こう呼べば分かるかもしれない。「天神の母」

 野田さんは半世紀近く福ビルの横で易者として路上鑑定を続けてきた。しかし、福ビルの再開発のため昨年6月をもって撤退を余儀なくされ、現在は福岡市内の事務所に詰めて鑑定を行っていた。仕事場には「手相」と書かれた自作の行灯(あんどん)やルーペなどかつての商売道具があった。懐かしむように手に取り、野田さんは振り返る。

 「一番お客さんが多かったのは平成の初めやったですかね」

 1989(平成元)年、天神はソラリアプラザやイムズ、ユーテクプラザ天神の誕生など「第2次流通戦争」と呼ばれる開業ラッシュに沸いていた。行灯にロウソクの火をともし、営業を始めるとすぐに行列ができ、深夜まで続いた。多い時には一晩で120人近くを占った。客の9割が10代、20代の女性。占う内容はきまって恋愛のこと。ちょうどその頃、時代の端境期における恋愛観の変化も実感していた。「好きな人と結婚できそう?」。昭和の恋愛、結婚候補は1人が相場だったが、平成に入ると複数も珍しくなくなった。

 「『こっちの人とこっちの人、どっちが相性良い』とかね。あっけらかんとして言いよる。びっくりよ、私は昭和の人間だから」

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 29歳までは地元佐賀で暮らしていた。独身だった。「もらい手がないけん親が追い出したんでしょう」。親戚を頼って福岡市に移り、事務の仕事も得た。

 転機は数年がたった頃。中洲の路上で占いをしてもらった。結婚について聞いていると「占う方になってみらん」と誘われた。仕事に行き詰まっていた時期だった。背中を押された気がして新しい人生を一歩踏み出した。

 修業後、指導役として紹介されたのが福ビルで路上鑑定をやっていた易者で、のちに夫となる野田周豊さん(89)だった。73年、周豊さんの十数メートル隣で開業。最初は客の来ない日もあったが、75年に博多大丸が移転し、翌年天神地下街、天神コアがオープン。当時の「第1次流通戦争」のおかげもあり客は増えた。「よく当たる」占いに加え、「ずけずけと言う」人生相談スタイルが評判になった。昭和の終わり頃には「天神の母」と呼ばれていた。

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 「結婚ってせないかんもんなん?」。90年代の終わり、20歳代OLが放った一言を今も覚えている。

 「『え』って聞き返しましたよ」。自身の結婚も35歳と遅かった。それでも結婚するのが当然と考えていた。結婚に希望がなくなってきた時代を実感した出来事だった。「結婚がすべてとは言えんよ。したくないならせんでよかよ」。その時はこう答えた。

 同じ時期から増えたのが離婚、不倫の相談だ。「失楽園」「不機嫌な果実」「チョコレート革命」など不倫をテーマにした小説、歌集、そしてテレビドラマがヒットしていた。その頃に来た20歳すぎの青年のことが忘れられない。

 派手なシャツのいかにもの不良がぶっきらぼうに話しかけてきた。「おばちゃん見てくれや」。最初は腰が引けたが接すると素直だった。「親が悪いか俺が悪いか聞いてくれ」と、身の上話を始めた。高校生の時に親から離婚話を切り出され、20歳までは離婚しないように懇願したが、その翌日に離婚したという。青年がグレたきっかけだった。「親が悪い。もうつっぱるのは辞めんね」。そう伝えると「辞めようと思ってきた」と答えが返ってきた。以来「20歳までは責任持って子どもを育てなさい」。常にそうアドバイスする。

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 〈♪職業選択の自由、アハハン〉。シーナ&ロケッツが歌う求人情報誌のCMが話題となったのは平成初頭のことだ。平成を通じ、恋愛に加え、仕事の相談も増えてきた。一人に決めない恋愛があり、結婚をしない自由もある。さらに一生同じ仕事をすることが当たり前ではなくなった。生き方が多様化し、選択肢が広がったゆえ、生じるようになった悩みもまたある。

 一方、野田さんがさまざまな人生を見つめた街は画一化されていった。

 90年代にはアクセサリーを売る露店が、2000年以降には名物だった路上の靴磨きが姿を消した。福ビルは4月以降に取り壊され、24年をめどに天神コアなどを含めた一体的再開発で大型複合ビルに生まれ変わる。

 天神の変容に一抹のさみしさを感じる。ただ、こうも信じている。「だれもが悩みを持つし、だれかに背中を押してほしい。それは変わらない。人ってやっぱり弱いですから」

 街の未来は占えないが、変わらないであろう次世代の若者たちに、まだしばらくは寄り添うつもりだ。

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 【のだ・えつこ】 1938年、佐賀市生まれ。73年に福岡ビル横で易者として路上鑑定を始めた。最初は「天神のおばちゃん」と呼ばれていたが、「天神の母」の呼称がマスコミを通じて定着したという。

=2019/03/14付 西日本新聞朝刊=

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