縄文杉「発見」50年 世界遺産 登山客予測超え 環境と振興 屋久島苦悩 [鹿児島県]

展望デッキから望む「縄文杉」。登山客が入れ替わり立ち替わり記念撮影に立っていた=5月29日、鹿児島県屋久島町
展望デッキから望む「縄文杉」。登山客が入れ替わり立ち替わり記念撮影に立っていた=5月29日、鹿児島県屋久島町
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持ち帰り可能な携帯トイレ用のテント。「縄文杉」へ向かう登山道に設けられている
持ち帰り可能な携帯トイレ用のテント。「縄文杉」へ向かう登山道に設けられている
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 日本で初めて世界自然遺産になった鹿児島県の屋久島のシンボル「縄文杉」が世に知られるようになって今年で50年を迎えた。神秘的な巨木は島に人々を呼び込み、潤いをもたらしたが、押し寄せる観光客による環境悪化も招いた。自然保護と地域振興のバランスとは。翻弄(ほんろう)されるトップランナー、屋久島を歩いた。

 5月下旬。シャトルバスで登山口に到着した。縄文杉まで11キロを歩く。道中は樹木の根を踏まぬよう木を組んだ休憩スペースやトイレが点在し、至るところに木製の歩道や階段が設けられ、険しさは感じない。

 5時間後。樹齢7200年とされる縄文杉に着いた。うねる幹に生命力を感じる。今春、一部が改築された展望デッキで30人ほどが記念撮影していた。「自然の負荷を減らすため、人の手を入れざるを得ません」と登山ガイドの伊熊清明さん(43)は言う。

 縄文杉は1966年に旧上屋久町職員の岩川貞次さん(故人)が発見した。翌67年元日付の地元紙が「生き続ける“縄文の春”」の見出しで紹介し、縄文杉と呼ばれるようになった。以降、縄文杉目当ての登山客が少しずつ増え始める。

 転機は93年の世界遺産登録だった。それまで推定1万人だった登山客は一気に増加。2008年には約9万3千人に上り、1日に千人が登る日もあった。登山口に向かう森の道に数キロの車列ができ、トイレは1時間待ち。その場に埋めたし尿が悪臭を放ち、踏みしめられた山道では根があらわになった。

 そのたびにマイカー規制やトイレ増設、し尿搬出などの対策が取られた。屋久島町環境政策課の矢野和好課長(55)は「世界遺産のインパクトを予測できず、何もかも対応が後手に回った」。今年3月、九州初の入山協力金の徴収が始まった。し尿処理費用の枯渇が理由だ。

   ■   ■

 町の人口は約1万2900人。この20年、県内のほかの離島の人口が軒並み2割減る中、屋久島はわずか5%だ。移住者が人口減に歯止めをかけた。

 93年に東京から移り住んだ民宿経営の男性(60)もその一人。当時から連休は縄文杉を目指す登山客で満室。部屋が足りず、個人客4人が6畳間に相部屋になることもあった。「屋久島に縄文杉が立ってるわけじゃなく、縄文杉の上に島が立ってる」。男性は縄文杉観光が支える地元経済をそう表現する。

 世界遺産登録前と比べ、ホテルや民宿の数は2倍の約140軒、移住者が多い登山ガイドは10倍の約200人になった。だが07年度に40万人を超えた入島者は昨年度27万人。勢いは衰え、観光の島は岐路に立つ。

 「まるで時代に翻弄される島だ」。昭和40年代に屋久島の国有林伐採の反対運動に身を投じ、植物研究に取り組む大山勇作さん(73)が嘆いた。「自然との共生とは何か。世界遺産の登録前に、島として具体的な理念をつくれなかった」

 4年前まで奄美大島に駐在し、今は屋久島の環境省首席自然保護官を務める田中準さん(47)も「屋久島は先進地事例ではない。その苦闘に学ぶべきものがある」と言い切る。

 来年夏には「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄県)が世界自然遺産に登録される可能性がある。屋久島の教訓をどう生かすか。田中さんは「文化を含め、地域の人々が何を後世に引き継ぎたいと考えるか。島の将来を議論してほしい」と訴える。

【ワードBOX】縄文杉

 高さ25.3メートル、幹回り16.4メートル。標高1300メートルにあり、日本で最も太いスギとされる。樹齢は諸説あり、発見後に調査した九州大助教授は古代の気象や成長量の関係から7200年と推定。林野庁は1984年、スギ内部から木片を採取し、放射性炭素年代測定法により2170年以上と推定した。空洞が多く幹の中心が特定できないため、正確な樹齢の測定は不可能とされている。

=2017/06/26付 西日本新聞朝刊=

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