天草四郎を目撃した!古文書群が14年ぶりに見つかる [熊本県]

天草四郎像(上天草市松島町の天草パールセンター)
天草四郎像(上天草市松島町の天草パールセンター)
写真を見る
天草四郎が舟で上陸したという茂木根村(天草市本渡町)
天草四郎が舟で上陸したという茂木根村(天草市本渡町)
写真を見る
14年ぶりに見つかった島原の乱関連の古文書群。天草四郎を目撃したという情報が記される
14年ぶりに見つかった島原の乱関連の古文書群。天草四郎を目撃したという情報が記される
写真を見る

 天草・島原地方で起きた島原の乱(1637~38年)で、キリシタン農民たち一揆軍を率いた天草四郎を目撃したという古文書群が、14年ぶりに苓北町で見つかった。所蔵していた民間のキリシタン資料館「天草郷土資料館」(天草市本渡町)が2003年に閉館した際に行方が分からなくなっていたが、館長を務めた故錦戸宏さんの遺族が保管していることが判明した。謎に包まれた四郎の実在を裏付ける貴重な史料として、再び注目されている。

 古文書群は、熊本藩や久留米藩が江戸幕府の大坂城代や目付に宛てた報告書など美濃紙48枚で構成される。1985年に苓北町の旧家で見つかり、天草郷土資料館に展示されていた。

 このうち、熊本藩家老の長岡監物(けんもつ)が大坂城代の阿部備中守に宛てた四郎の目撃情報は、四郎の様子を詳述する。久留米城下の洗(あらい)町から来た商人の与(よ)四(し)右衛(え)門(もん)は1637年11月14日から16日まで本渡町に滞在中、乱に巻き込まれた。3600人の一揆勢は、富岡城番代の三宅藤兵衛(唐津藩)を討ち取るなどして勝利。与四右衛門は実際に見た合戦を、次のように証言した。

 「キリシタン軍は14日、本渡へ陸と海から攻め寄せた。四郎は舟で本渡町茂木根(もぎね)に上陸、馬に乗る。白い絹の着物とはかま姿。頭には苧(からむし)を三つ組みに緒(ひも)で留め、額には小さな十字架を立てていた。手に御幣(ごへい)を持ち、軍を指揮していた」「翌15日、島原から一揆軍の応援に来ていた大膳(宿泊先の主人)らと舟ばたへ行くと、四郎は島原藩主・松倉勝家から奪った舟に乗っていた」(以上、要旨)

 与四右衛門は商人の立場で自由に往来し、四郎を間近で見ることができたとみられる。1986年に古文書群を調査した五野井隆史東大名誉教授(キリシタン史)は「生々しい見聞は、島原の乱と天草四郎を知る上で貴重な史料だ」と評価。「物語的な話が先行しがちで謎多き少年だが、四郎は実在したとみていいと思う」と話した。

=2017/06/26付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]