「水俣病の証人また1人…」「信念教わった」 溝口さん死去、悼む声次々 [熊本県]

最高裁で勝訴が確定し右手を挙げて笑顔を見せる溝口秋生さん(左)。溝口さんの母チエさんの遺影を持つのは、支援者の永野三智さん=2013年4月16日、最高裁前
最高裁で勝訴が確定し右手を挙げて笑顔を見せる溝口秋生さん(左)。溝口さんの母チエさんの遺影を持つのは、支援者の永野三智さん=2013年4月16日、最高裁前
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 肉親や同じ病に苦しむ人たちのため、厚い壁に挑んだ人だった。死亡した母親の水俣病認定を求め、2013年の最高裁判決で勝訴が確定した水俣市袋の農業、溝口秋生さん(85)が12日、市内の病院で亡くなった。認定審査を巡る行政の不条理を暴き、厳格化された認定基準を事実上、否定する判決を勝ち取った溝口さん。関係者から悼む声が相次いだ。

 「われわれの闘いを見届けてほしかった」。溝口さんが先駆けとなった水俣病認定義務付け訴訟で現在、県を相手取って熊本地裁で係争中の佐藤英樹原告団長(62)は声を落とした。

 昨年、原告団の集会に駆け付けた溝口さんから「頑張れよ。絶対に負けるな」と声を掛けられたという。母親の無念を晴らすため、行政の厚い壁に挑み、突き破ってきた溝口さん。その後ろ姿に、佐藤さんは「信念を貫けば道理が通ると教わった。私たちの力になっている」と話した。

 溝口さんが開いていた書道教室で教えを受け、後に訴訟支援に加わった水俣病センター相思社の永野三智常務理事(33)は「最期まで教え子に慕われた先生だった。ご冥福を祈りたい」と在りし日をしのんだ。

 患者や被害者の救済運動を引っ張った故川本輝夫さんの長男愛一郎さん(58)は、自宅で輝夫さんらと議論する溝口さんの姿を覚えている。「また1人、水俣病事件の証人がいなくなってしまった」と寂しそうに話した。

=2017/09/13付 西日本新聞朝刊=

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