水俣病と向き合う7人が公開座談会 「もやい直し」再び機運を 「体験を人類の財産に」 [熊本県]

緒方正人さん
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柳田耕一さん
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森枝敏郎さん
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石原明子さん
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下田健太郎さん
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加茂昂さん
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金刺潤平さん
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 水俣病患者や家族、支援者などでつくる市民団体「本願の会」が2月24日、水俣市で開いた公開座談会は、昨年に引き続き「企業城下町と地方自治」をテーマとした。昨年8月、水銀に関する水俣条約が発効し、改めて国際的な関心が集まる一方で、水俣病を巡り新たに広がる複雑な市民感情などについて、それぞれの立場で「ミナマタ」に向き合う7人が語り合った内容を紹介する。 =文中敬称略

■傷を負った地域

 金刺 水俣病を棚上げし、過去のことにしたいというのが水俣市民の多数意見ではないか。一方で、昨夏に水俣条約が発効し、世界から水俣に学びに来る人が増える。今のままでは街が空中分解してしまう。

 下田 水俣に来てつらかったのは、本来なら同じ立場のはずなのに、住民同士で傷つけ合い、批判し合っていること。「患者」「市民」という(区別した)呼び方にも違和感を覚えた。水俣病発生前の考え方に戻り、時間軸を広げて地域を捉え直すことが求められる。

 石原 水俣が作り上げてきた「もやい直し(地域住民の関係再構築)」の文化は、それぞれの責任に向き合い、未来に向かっていくということ。苦難の中から素晴らしいものを培ってきた。水俣の財産であり、癒やしにもなっている。

 森枝 1990年代初頭には、融和の重要性を原因企業も一般市民も認識して、地域再生の機運が盛り上がった。ただ、続かなかった。残念でならない。

 緒方 患者・家族にもトラウマ(心的外傷)がある。水俣病という3文字をなかなか語れない。孤立を恐れ、仮想敵におびえている状態。(被害者と加害者)それぞれにとって、不都合な真実だったと思う。

 加茂 広島に市民が描いた原爆の絵が残っている。原爆の被害を受けたり目撃したりした人たちが、家族にも言えないトラウマを絵に描いた。誰かに見せることで、自分の体験を人類の財産にできるかもしれないというプロジェクトだった。自分の傷を資源、財産として考えていけたときに、水俣病は残していくべきものだというマインドになるのではないか。

■「解決」とは何か

 石原 東京電力福島第1原発事故で地域が分断された福島では、ノウハウを持った紛争解決のプロがいろいろな取り組みをしている。水俣では80年代から生活に根ざした「水俣生活学校」のような実践が生まれた。現代で言えば、加害、被害を越えて向き合う対話もあるし、アーティストを通したやり方もある。

 柳田 療養施設に入所している水俣病患者が、「家に帰りたい」と繰り返していた。この人にとっての解決とは何だろうかと。100人の被害者がいれば、100通りの解決がある。大きな制度の中に押し込めることが解決ではない。

 緒方 解決はないというのが私の前提。責任も取れると思っていない。取れないものとして責めを負う。取れないところに罪深さがある。一方で、運動する側が求めてきたものも、近代化そのものではなかったか。システム化してしまったのは、われわれ自身ではなかったかと思っている。

■水俣のメッセージ

 金刺 水俣病は、考え続けなければいけない命題をいくつも教えている。

 柳田 市立水俣病資料館に来る子どもたちに、自分で気付かせるという教育がなされているだろうか。気づき方は皆、それぞれ違う。一方的に教え込むだけが教育ではない。

 石原 過去の大きな痛みを伝える資料館として、その痛みを生きた人の人生史を紹介してほしい。その上で、来場者がこの先の人生にどう向き合うのか。深い哲学や優しさにも触れることができる。

 緒方 感じてもらう、感じさせる機会にしないといけない。水俣病は、食べるという行為から起きた。資料館でワカメを食べてもらうなど、身体の記憶として感じてもらう工夫をしてはどうか。

 金刺 水俣には人を集め、立ち寄らせる力がある。だからこそ、来た人が考える、感じるようにしないとしぼんでしまう。

■座談会の出席者

 緒方正人さん 漁師、本願の会副代表。著書に「チッソは私であった」。64歳。

 柳田耕一さん NPO法人地球緑化の会事務局長、元水俣病センター相思社世話人。67歳。

 森枝敏郎さん 元県健康福祉部長。通算12年間、水俣関係業務を担当。67歳。

 石原明子さん 熊本大文学部准教授(紛争解決論)。約10年前から水俣市在住。44歳。

 下田健太郎さん 日本学術振興会特別研究員(文化人類学)。2006年から水俣を研究。33歳。

 加茂昂さん 油絵画家。昨年8~12月、津奈木町に滞在し、本願の会の協力を得て創作。35歳。

 金刺潤平さん 本願の会事務局長。紙すき職人。水俣市袋で工房を主宰。58歳。

【ワードBOX】水俣生活学校

 水俣病センター相思社が1982年、「ポスト水俣病」の生活スタイルを模索しようと開校した自給自足型のフリースクール。宿舎兼校舎を拠点に、東京や大阪、地元熊本などから訪れた若者が胎児性患者たちと交流しながら、それぞれ1年間の共同生活を送った。分担してコメや野菜を育て、牛や鶏、豚などを飼育。自然を破壊し利潤追求を優先する社会に疑問を感じ、自分探しや有機農業、自然に親しむ生活を求める学生などでにぎわった。92年に閉校。水俣に残った卒業生も少なくない。

=2018/03/07付 西日本新聞朝刊=

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