八代城、江戸期の修復に粗さ 基礎石同士に大きな隙間 一国一城令で職人不足? [熊本県]

一番下に並ぶ石材が、崩壊した石垣の根石。根石同士に大きな隙間ができている(八代市提供)
一番下に並ぶ石材が、崩壊した石垣の根石。根石同士に大きな隙間ができている(八代市提供)
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 熊本地震で石垣の一部が崩れ、今年3月に修復工事を終えた八代市の国指定史跡・八代城跡の見学会が16日、現地で開かれる。今回の工事では、江戸時代にも同じ場所が崩れて行われた石垣の積み直しで、最も重要な根石(基礎石)の並べ方が隙間だらけだったという事実が判明した。当時の作業が粗雑になった原因を探ると、石工不足などの時代背景が浮かび上がる。

 市文化振興課によると、熊本地震での崩落箇所は本丸北側の幅約6メートル、高さ約3メートル。市は約1年3カ月かけ、調査や記録作成をしながら数百キロ~1トン強の石材109個を積み直した。

 石垣の裏に詰める「裏込め石」から、江戸時代初めの1622年に八代城が完成した当時の城代加藤正方と、その後入城した細川氏の家紋入り瓦が見つかり、細川氏に城主が代わって以降に崩れていたことが分かった。

 堀の水を抜き、掘り下げて根石を調べたところ、当時の修復は、本来は密着させて並べなければならない根石同士に20~30センチの隙間ができていることが判明したという。なぜ、そんな粗い作業になったのか。

 同課の山内淳司学芸員によると、水堀の中の作業の困難さに加え、(1)当時は幕府の「一国一城令」で城壁の石積み技術を持った石工が減っていた(2)八代城の石垣は江戸時代以前に盛んだった自然石を積む「野面(のづら)積み」だったため、対応できる石工が少なかった-との原因が考えられるという。

 1632年に入城した細川忠興はその後、崩落箇所の真正面の北の丸に居住。山内学芸員は「当時の崩落であれば、殿様に一日も早く修復した石垣を見せようと拙速になった可能性もある」と推測する。

 見学会は午前9~11時で同8時半から隣の市厚生会館前で受け付け。無料。市文化振興課=0965(33)4533=に事前申し込みが必要。

=2018/06/05付 西日本新聞朝刊=

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