「阿蘇五岳」に登山者戻る 本震から2年2カ月、名所復活に光 「火口に頼らぬ」観光模索 [熊本県]

高岳山頂のミヤマキリシマの群落。「天狗(てんぐ)の舞台」の名がある後方の岩場で登山者たちが花見を楽しんでいる=5月27日
高岳山頂のミヤマキリシマの群落。「天狗(てんぐ)の舞台」の名がある後方の岩場で登山者たちが花見を楽しんでいる=5月27日
写真を見る
阿蘇は人を引きつける自然に満ちている。雲海もその一つ(北外輪山で)=2017年11月28日
阿蘇は人を引きつける自然に満ちている。雲海もその一つ(北外輪山で)=2017年11月28日
写真を見る
高岳の斜面に転がる通称「たまご岩」。登山者が驚く、落ちそうで落ちない“奇観”だ=5月4日
高岳の斜面に転がる通称「たまご岩」。登山者が驚く、落ちそうで落ちない“奇観”だ=5月4日
写真を見る
噴煙を上げる中岳火口を眼下に、山歩きを楽しむ登山者たち。遠くに雲仙岳がかすんで見える=4月26日
噴煙を上げる中岳火口を眼下に、山歩きを楽しむ登山者たち。遠くに雲仙岳がかすんで見える=4月26日
写真を見る

 熊本地震で大地が激しく揺れた日から2年2カ月になる。阿蘇谷であの日、被害のありさまが見え始めた夜明け、余震の中で聞いた「水害からの復興もまだなのに-」という住人のつぶやきが、今も耳に残っている。阿蘇の山野が手ひどくやられた2012年7月の九州北部豪雨。その復興途上に起きた地震に、がっくり膝が折れそうになった人々の心情が、たまたま耳に触れた住人の言葉に表れていた。本震から789日。災害史を重ねる阿蘇カルデラの「復興の音」を、その中心に位置する阿蘇山からお伝えする。(島村史孝)

●傷ついた山々

 地震で凄惨(せいさん)な姿になった阿蘇山にぼうぜんとしたのは本震の3日後だった。地震の影響を探ろうと、阿蘇谷から阿蘇山上への道に車を乗り入れた。随所で土砂が崩れ落ち、道に積もった土石を乗り越えたりよけたりしながら「行けるとこまで」と進む。やがて草千里展望所の脇で道は完全に崩落。眼前の烏帽子岳の斜面は爪で引っかいたように地肌をさらしていた。

 車を展望所に放置し、草千里ケ浜を挟んで烏帽子岳と対峙(たいじ)する杵島岳に向かった。この山は頂の火口部まで草が覆い、子どもたちの火山と草原の学習の場に使われる。登りやすい秀峰として高齢者登山でも親しまれている。

 ところがここも地震でひどく傷んでいた。深い亀裂が縦横に走り、火口縁は一部が崩落して登山者が寄りつきにくい危険な状況になっていた。眼下に望む国天然記念物の「米塚」に目をやると、こちらも斜面に亀裂が入っている。痛々しい山容だった。

 しかし今、阿蘇山上の優美・雄大な景観を構成する草千里ケ浜、烏帽子岳、杵島岳、米塚といった名勝の数々は、震災後の観光の主役として復活を果たしている。地震で被った山々の傷が完全に癒えるには時間がかかるとしても、山上に観光客が戻ってきている動きは、阿蘇山観光復興の確かな流れになるだろう。

 この春、烏帽子岳のミヤマキリシマの彩りは近年になく見事だった。花の盛りに展望所でカメラを構えていた観光客が「すごい!」と感嘆の声を上げていた。名所復活を物語るひとこまに思えた。

●名花に誘われ

 ミヤマキリシマのにぎわいは高岳も同様だった。高岳の花を見るには登山を伴うが、尾根を歩きながらカルデラと中岳火口の景観を楽しむこともでき、花見登山の列ができた。

 阿蘇山にはミヤマキリシマの群落が阿蘇市の仙酔峡や烏帽子岳のほか、高岳火口と東峰一帯にも広がっている。斜面がピンクに染まる花前線は標高の低い所から高い所へ、じわりはい上る。5月中旬から6月初めにかけて、仙酔峡、烏帽子岳、高岳の順で、鮮やかに色づいていく。

 このうち仙酔峡は麓から通じる道が熊本地震により崩落し、まだ復旧していないため、今年も花見はできなかった。高岳の場合、山頂に上がる道はいくつかあるが、6年前の九州北部豪雨、中岳の火山活動、熊本地震の影響などの事情が重なり、この数年は登山が不自由だった。

 高岳への登山路は仙酔峡から上がるルートのほか、4月から通行が可能になった中岳火口南側の砂千里ケ浜から中岳山頂を経由するルートがあり、待ちかねた登山者が戻ってきた。

 阿蘇山は全国から登山を目的に人が来る「名山」である。登山路の規制中も山上広場で、いかにも残念そうに高岳の頂を仰ぐ山男・山女を多く見てきた。阿蘇登山に憧れを抱く人は若い世代や外国人にも増えている。初夏を迎えて、山のにぎわいは梅雨明けとともに本格化するだろう。

●坂の国の将来

 阿蘇カルデラの壁を成す外輪山も被害が出た。阿蘇を訪ねた観光客が立ち寄る北外輪山の大観峰では、阿蘇谷側から上がる登山路の一部ががたがたに傷んだ。地震直後、岩が露出して重なり合い、転げ落ちそうな不安定な光景を目の当たりにし、地震の破壊力のすさまじさに衝撃を受けた。

 以来、度々見に出掛けているが、今は夏草が茂って足元が隠れる。それを押して進めば足を滑らす危険がある。ここだけでなく、登山者の進入を拒絶する爪痕が残っている。

 阿蘇は昔、「坂の国」だった。外輪山上の草原と阿蘇谷の集落を結ぶ坂が集落の数だけあったという。草を運んで人と牛馬が行き来した「生活の道」である。草の利用が減って坂の多くは無くなった。

 時代は下り、農家の軽トラックが利用する新しい道もできた。観光資源への活用も期待できそうだった新しい時代の「坂の国」構想ともいえるが、震災で崩落するなど痛手を負った。

 年間1700万人が訪れていた阿蘇観光は地震で打撃を受けた。だがそうした状況にあって、農業とともに基幹産業として地域経済を支える観光の将来を見据えた新しいエネルギーが、地域の人々の間に生まれてきている。次の言葉にそれが象徴される。

 「火口に頼らない阿蘇観光を目指す!」

 山歩き、サイクリング、食の催し…。模索が始まっている阿蘇観光の新時代に注目したい。

=2018/06/14付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]