日吉フミコ会長「神様じゃった」 水俣病患者、原告らが感謝の言葉 [熊本県]

水俣市の患者支援施設で、日吉フミコさんとの思い出を語る坂本フジエさん(中央)、しのぶさん親子と、上村好男さん(左)
水俣市の患者支援施設で、日吉フミコさんとの思い出を語る坂本フジエさん(中央)、しのぶさん親子と、上村好男さん(左)
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2016年1月、水俣市であった水俣病の研究交流集会に駆け付けた日吉フミコさん
2016年1月、水俣市であった水俣病の研究交流集会に駆け付けた日吉フミコさん
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 1960年代後半、孤立無援だった水俣病患者を支援する最初の市民団体を立ち上げ、初めて原因企業チッソを相手に裁判を起こした患者、家族を物心両面で支えた「水俣病市民会議」会長の日吉フミコさんが7日、水俣市内の介護施設で亡くなった。享年103。半世紀にわたって交流を持ち続けた当時の原告や行動を共にした人たちは、その誠実で温かい人柄をしのび、悲しみを分かち合った。

 日吉さんの原点は、戦時中に教員として、当時の植民地で「軍国教育」に加担したという後悔だった。「二度と過ちを繰り返さない」という終戦時の強い覚悟が、その後の水俣病問題への対応につながった。日吉さんがけん引する市民会議の側面支援もあって、原告は第1次訴訟に勝訴し、患者たちはチッソとの補償協定を勝ち取っていった。

 第1次訴訟当時、中学生だった胎児性患者の坂本しのぶさん(62)は、判決後も毎週顔を合わせていた。「先生がいたから裁判できた。『ありがとうございました』と言いたい」と語り、「日吉先生の顔を見ると、いつもホッとしていた。『みんながおるから、あんまり悩まんでもいいよ』と掛けてくれた言葉が、忘れられない」と目に涙を浮かべた。

 母フジエさん(93)は「13年間、チッソの言いなりになっていた私たちにとって先生は神様じゃった。大往生。『お疲れさまでした』と声を掛けてきた」と語った。水俣病互助会の上村好男会長(84)は「発言が過激だとして市議会で懲罰処分を受けたこともあった。患者のために1人で闘ってこられた」と感謝の言葉を並べた。

 市民会議に参加した元チッソ従業員の松田哲成さん(89)は「誰にとっても頼もしく、患者救済の道を切り開いてこられた行動力が見事だった」と悼んだ。

=2018/11/08付 西日本新聞朝刊=

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