出るか戻るか 思い揺れ 集落再生 復興へ(3)

5人が犠牲になった高野台分譲地。家屋の解体は進むが、つぶれた車は今も残る=3月29日、熊本県南阿蘇村
5人が犠牲になった高野台分譲地。家屋の解体は進むが、つぶれた車は今も残る=3月29日、熊本県南阿蘇村
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 重機の音が響く高原の住宅地は人けがない。熊本県南阿蘇村の高野台分譲地。熊本地震の土砂崩れで5人が犠牲になった。解体が進む家屋の横にぺしゃんこの車が取り残されている。

 崩れた斜面で約20億円かけた砂防工事が始まるが、16軒のうち現地に残ると決めたのは4軒だけ。「あんな経験をして住み続けるのはあり得ない」。16年前に購入した自宅を失った医療事務員の高橋俊夫さん(48)は、仮設住宅に家族4人で暮らす。

 昨秋、住民と村側の会合で、国の制度を活用した集団移転話が持ち上がった。明るい兆しに思えた。

 2月、話を前に進めようとあらためて会合が持たれた。村は大まかな移転候補地と再建に必要な個人負担の試算例を示した。2094万円-。土地売却益などの3倍強にもなっていた。

 「ローンが残っているのにとても無理だ」

 話は止まった。

   ◇   ◇

 30年以上前にできた南阿蘇村のペンション群「メルヘン村」も、斜面崩落の被害が大きく、移転を検討している。立ちはだかるのが制度の壁だ。計6軒のメルヘン村は、国の防災集団移転事業の条件「10戸以上」に満たない。

 オーナーたちが3月下旬に集まった。「条件緩和は難しそうだ」。風の丘・野ばらの栗原有紀夫さん(52)は、村役場で収集した情報を伝えた。東日本大震災では5戸でも認められた特例の実現は望みが薄い。ならばと、移転を希望する他の地区と合わせて10軒をクリアする策を模索し始めた。

 村内には先祖代々の土地を守ってきた住民も多く、住民の合意形成は難しい。時間がかかるのは間違いない。「早くしないと。俺たちももう70を過ぎた」。オーナーの1人がつぶやいた。

   ◇   ◇

 阿蘇大橋の崩落などで村中心部と寸断された立野地区は、さらに悩みが深い。全328世帯が長期避難世帯に認定され、ほとんどが村外に避難している。

 あの日から、もう1年。「何がつらいって、先が見えんのがな」。道路や水道が復旧しても、宅地に山肌が迫る一帯では次の災害への恐怖が消えない。崖下に住む男性(67)は自宅を手放し、親戚のいる大分県に移ることを決めた。集落単位の移転を検討する動きもある。熊本市近郊の「みなし仮設」に暮らす男性(72)は「戻りたい気持ちが薄らいできた」と明かす。

 吉野光正さん(71)は、隣の大津町にある仮設住宅から毎日のように自宅に通う。「ガンバロー立野」。一部損壊の自宅の壁に決意の文字が大きく書かれている。「前と同じようにはならんかもしれんけど、自分は戻る」。無人の集落に、今年も野辺の花が咲いていた。

=2017/04/11付 西日本新聞朝刊=

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