2010年7月15日

むすび庵便り・八尋幸隆<3>減農薬稲作運動(1) 最大の被害者は誰?

農業改良普及員時代の宇根豊さん

 減農薬稲作運動の始まり。それは、「普及員は農薬ばふらせ過ぎ。そげんふらんでも稲はちゃんと育っとる」と言い放った私の一言がきっかけ-ということになっています。時は1978年。その相手が、当時、福岡県筑紫農業改良所の新任普及員だった2歳年上の宇根豊さんでした。

 私自身も新米の百姓でしたから、普通はこんなことを言える立場ではなかったのですが、お互いに若く、また宇根さんなら理解してくれるという確信があったから、つい本音が出たのでしょう。その宇根さんが主宰してきた「農と自然の研究所」が解散するに当たり、その原点ともなった減農薬稲作運動について2回に分けてお話しします。

 冒頭の「農薬をふらせ過ぎ」というのは、頭で考えた理論ではなく、そんなにふらなくても米はできているという現実から出た言葉でした。「隣百姓」という言葉があるくらい、世間体を気にするのが百姓の性。よそと同じにやろうとするから、当時、稲作での農薬散布は増える一方。でもなぜか、農薬を指導通りにふる「篤農家」の稲に被害が出るのです。

 「なんかおかしい」と思っていても、理由はわかりません。農薬は自ら会得したものではなく、外から入ってきたものですから、百姓はそれに対抗する術(すべ)をもたないのです。

 訳も分からずやる農薬散布ほど情けなく、またつらいものはなかった。私は年老いた祖父にこんなことをさせるのが忍びなくて、学生時代から農薬散布を手伝いました。重い散粉機を背負い、白煙の舞う田んぼの中を、マスクもせずに息を止めて歩き回りました。

 そのころすでに、「反農薬」という立場で、農薬の危険性を訴える運動はありました。でもそれは、農薬を使う必要のない人たちの運動ですから、使わない場合はどうするのかという対案はありません。一方、指導機関はといえば、本来、田んぼは一枚一枚状況は違うはずなのに、画一的な「指導」しかしない。「百姓はそんな難しいことを考えないで指導者に任せておけ」ということでしょう。

 そんなわけで仕事はちっとも面白くない。農薬の最大の被害者は百姓なのに、最も大事なことが周囲に伝わっていないのはおかしい。百姓の立場から農薬と正面から向き合ってみようじゃないか。それが減農薬稲作運動の発端でした。

 農薬をふらなければどうなるか。78年、宇根さんと、私の田んぼを試験田にして、比較研究を始めました。ところがその年は福岡大渇水が発生。虫の数も大変多く、試験田の田んぼは、コブノメイガの被害で葉っぱは真っ白になり、目立つのなんの。研究はいきなりピンチを迎えたのですが、この続きは次回。
(福岡県筑紫野市「むすび庵」庵主)

=2010/04/04付 西日本新聞朝刊=

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