20歳で白血病に…病気になったからこそ出合った仕事 人気番組のディレクターが伝えたいこと

情報番組のディレクターとして現場を仕切る蒔田真弓さん=3月21日、福岡市城南区
情報番組のディレクターとして現場を仕切る蒔田真弓さん=3月21日、福岡市城南区
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入院当時の蒔田真弓さん。過酷な治療に耐える中、20歳の誕生日を病室で迎え、両親と祝った=2010年10月、福岡市東区の九州大病院(蒔田さん提供)
入院当時の蒔田真弓さん。過酷な治療に耐える中、20歳の誕生日を病室で迎え、両親と祝った=2010年10月、福岡市東区の九州大病院(蒔田さん提供)
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【がんと働く】<1>私だから伝えられること

 「アサデス。」は18年続くKBC九州朝日放送の人気情報番組だ。そのディレクターとして、蒔田真弓さん(27)=福岡市博多区=は日夜、飛び回る。コーナーの企画を立て、ロケ地を探し、取材を段取る。昨年7月の九州豪雨では現地に泊まり込んで中継した。

 こんな充実した日々をかつては想像できなかった。病院の無菌室で吐き気と高熱、死の恐怖に苦しんでいた20歳のころには-。

 九州大2年だった2010年夏、自転車で転び、血が止まらなくなった。診断は急性骨髄性白血病。正常に造血できない「血液のがん」だった。水泳で鍛えた体は痩せ、血小板不足による内出血であざだらけになった。成人式に向けて伸ばしていた髪は抜け落ちた。

 「意識を失うほどの過酷な治療でした」。危機を救ったのは「自家移植」だった。あらかじめ自分の造血幹細胞を保存しておき、抗がん剤でがん細胞を減少させた体に注入する。入院から1年後、血中にがん細胞が確認できない「寛解状態」にまで回復した。

 ただ、将来はまだ見えなかった。1年遅れた就職活動で苦戦した。「採用に響く」と周囲から忠告され、面接では病気を明かさなかった。「価値観が変わるほどだった」という闘病体験を自ら封印してしまい、本当の自分で勝負できなかった。10社を受けて全て不採用となり、何も決まらないまま卒業式を迎えた。

 心配した教授が地元の番組制作会社を紹介してくれた。白血病と知った上で採用を検討するという。「私なんかを雇うくらい人手不足なのかな」。とはいえ、急に訪れたチャンス。考える間もなく飛び込んだ。

 入社の翌日に派遣されたのが地元民放の看板番組だった。当初は月に1回、がん細胞の再増殖がないか確認する血液検査で通院しなければならなかった。仕事への影響を考え、KBCのプロデューサーには事前に説明した。「遠慮せずに休んでいいよ」と言ってくれた。

 40人ほどいる番組のスタッフには明かさなかった。「新人なのに変に気を使われたくなくて」。それに医療界では「働き方とがんの再発リスクに因果関係はない」との定説がある。その通り、不規則が当たり前の仕事を一人前にこなした。

 それでも時々、不安が頭をもたげた。風邪気味かなと思えば、すぐ医者にかかった。抗がん剤の後遺症で不妊になる可能性もあり、恋愛にも臆病になった。学生時代の友人から結婚や出産の知らせが届くと「このままでいいのかな」と思う。

 そんな自分だからこそ、仕事に生かせる視点があると気付いた。がん患者のウイッグを作るために髪を寄付するヘアドネーションを取材した。貧血を取り上げた番組には、白血病を共に闘った同い年の友人に登場してもらった。今、最も伝えたいのは、人工呼吸器を装着して医療的ケアが必要な子どもたちの物語だ。

 寛解になって6年、定期通院は半年に1回に減り、ディレクターとしての自信は膨らんだ。「がんにならなかったら就かなかった仕事。私だから伝えられること、伝えなければならないことがある」。昨年11月に独立し、番組とフリー契約を結んだ。がんと共に新たな一歩を踏み出した。

    ◇   ◇

 日本人の2人に1人がかかるがん。年間100万人が発症し、働く世代が3割を占める。医学の進歩で生存率が向上する一方、仕事を辞める人、両立に悩む人は後を絶たない。がんと働く人たちの今を見つめる。

 ●患者 3分の1は就労世代

 高齢化とともに1981年から日本人の死因1位となっている「がん」。診断や治療技術の進歩を背景に「不治の病」ではなくなってきた。診断時を起点とする5年生存率は10年余りで約10ポイント向上し、62.1%に。患者のおよそ3人に1人は20~64歳の就労世代で、働きながら治療を続ける人もいる。

 三大療法は手術、抗がん剤、放射線。さらに近年、一部のがんで免疫療法も公的医療保険の対象になった。体への負担が小さく入院期間が短い内視鏡手術も、胃や大腸のがんで普及している。日本対がん協会福岡支部長の瓦林達比古さん(69)=写真=は「抗がん剤治療や放射線治療は通院で受けられるようになり、仕事もできる」と強調する。

 ただ、診断後に離職した人は3人に1人に上るとの調査結果もある。100%の能力を発揮することが求められる日本的な企業風土の下、「同僚に迷惑が掛かる」と自ら退職したり、非正規で雇い止めされたりする人は少なくない。

 瓦林さんも福岡大産婦人科教授だった13年前、肺がんを発症した。当時は「医者ががんなんて」と批判されかねない時代。退職すべきか迷った末、在職のまま入院した。治療後は福大病院長に就任し、通院治療態勢を充実させてきた。

 「がんとの共生が求められる時代へとシフトしている。患者や経験者が孤立したり、必要以上に特別視されたりしない社会を目指したい」

=2018/04/02付 西日本新聞朝刊=

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