【小児がん 母と娘の闘病日記】(2)母から 厳しい治療、どう伝えれば

発病した年の始めの芙優(左前)、弟(右前)、私(後ろ)
発病した年の始めの芙優(左前)、弟(右前)、私(後ろ)
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 芙優(ふゆ)、あなたの小児がんが見つかったのは寒い日でした。今も寒い日が近づくと、思い出してつらくなることがあります。

 「ここでも治療はできますが、専門の病院を紹介しましょう」。9歳だった芙優を連れて行った2軒目の病院でこう言われ、自宅から車で1時間の大きな病院に向かいました。病名はまだ確定しておらず、着いてすぐに骨髄や髄液、血液などの検査。結果の説明を聞く頃はもう夕方でした。

 「病名は前の病院で聞かれましたか」。「いいえ」と答える私たち夫婦に、担当医は手早く紙に書きながら説明を始めました。「急性リンパ性白血病」。最初に書かれた文字にとても驚いてしまいました。テレビで見たことのある病名、重病、死…。頭が混乱しました。一緒に聞いていた夫と顔を見合わせたような気がします。「自分の娘にこんなことが起こるんだ」

 私の動揺が伝わったのか、医師は「治療をすれば治る時代ですから、大丈夫です」と落ち着かせてくれました。その言葉を疑いもせず「死なないんだ」と簡単に納得した自分を覚えています。

 それよりも治療の厳しさ、2年もの治療期間の長さにがくぜんとし、幼い娘にどう伝えればいいのか、そればかり考えていました。病室へ戻り、細い腕にカテーテルを通され、骨髄検査の麻酔でまだぼんやりとしている芙優の顔を見て、私は何と声を掛けたのでしょうか。

 風邪気味の私でなく、夫が病室に泊まることになりました。夫に駅まで送ってもらう間、ずっと無言だった気がします。二つ下の弟を預けていた実家に向かう新幹線に乗った途端、涙が止まらなくなりました。「なんで、どうして。厳しい治療なんてかわいそう」

(山本章子=がんの子どもを守る会九州北支部代表幹事)


=2019/01/21付 西日本新聞朝刊=

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