松浦熈の古文書解読進む 「観光・平戸」の礎築いた10代藩主 松浦史料博物館 [長崎県]

松浦熈直筆の巻物「致仕発端之記」
松浦熈直筆の巻物「致仕発端之記」
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松浦熈像=松浦史料博物館所蔵
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久家孝史さん
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 松浦史料博物館(平戸市鏡川町)は、平戸藩10代藩主の松浦熈(まつらひろむ)(1791~1867年)が記した古文書の解読を進めている。観光地としての可能性を見いだしたと言える熈の言葉は、歴代唯一の平戸生まれで平戸育ちの藩主らしく、郷土愛にあふれている。

 学芸員の久家孝史さんによると、15年ほど前まで、随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」の著者で「静山」の号が知られる9代藩主清に比べ、熈の影は薄かった。しかし、熈が記した「亀岡随筆」「致仕発端之記」などの研究が進むと、観光・文化面での業績や個人的な心情が浮かび上がってきた。

 致仕発端之記には、父静山の反対を抑え、50歳で隠居する決意をこう書いている。〈ひろむは江戸好にてや候わんと、ひとびと訝(いぶか)り思い居り(略)左様にはこれなく、諺(ことわざ)にも故郷は忘れがたくとか言わん。山海草木の色を見ても、心浮き立つばかり也〉

 当時、外様大名の隠居は江戸住まいが必須だったが、平戸住まいを望んで画策し、ついに成功する。亀岡随筆には〈普通の諸侯(譜代、外様大名)、大方国(国元)嫌いなる事〉とした上で〈心のとり様一つ也(なり)〉〈江戸は苦界、国(平戸)は安楽世界也〉と記した。

 熈は、隠居後、領内の八景を絵師に描かせた「平戸領地方八奇勝図(ひらどりょうじかたはちきしょうず)」を4年掛かりで出版。別邸庭園「棲霞園(せいかえん)」「梅ケ谷津偕楽園(うめがやつかいらくえん)」を整備し、詩歌や茶の湯、能、蹴鞠(けまり)など文化行事を催して時には一般人にも開放した。

 家臣の記録「平戸噺(ばなし)」によると、熈が同偕楽園に江戸、京都から客を招き、九十九島を望む海の景観を見せた時、客はこう称賛した。〈金銀用いずして、かくのごとき絶景趣向とも揃(そろ)いたる庭を見ず〉

 このほか、熈は、生月島の益富組の捕鯨術を絵と文で記した「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」の出版管理を手掛けたり、100種類の菓子の製法と絵図を紹介した「百菓之図」を編さんしたりするなど、平戸の魅力の記録と発信に情熱を傾けた。

 久家さんは「熈は、西の端の平戸にも文化的に素晴らしいところがある、こんなものもあるんだよと、平戸をアピールした。観光平戸の礎を築いた業績が今、再評価されている」と話している。

=2017/06/27付 西日本新聞朝刊=

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