花火や電飾、戦時下は制限 長崎学研究所長ら「長崎 精霊流し」発刊 [長崎県]

「長崎 精霊流し」を出版した長崎学研究所の土肥原弘久所長(左)と学芸員の入江清佳さん
「長崎 精霊流し」を出版した長崎学研究所の土肥原弘久所長(左)と学芸員の入江清佳さん
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 毎年8月のお盆に行われる「精霊流し」。派手な花火や電飾が戦時中、次第に制限されていく様子など精霊流しの歴史について、当時の新聞記事や資料を基にした解説本が今月1日、発刊された。出版したのは長崎市が開設した長崎学研究所。土肥原弘久所長(59)は「文献が少なく、あまり知られていない精霊流しの歴史を若い人にも知ってほしい」と話す。

 解説本は「長崎 精霊流し」で、土肥原所長と学芸員入江清佳さん(29)が調査し、執筆した。

 調べた結果、地元紙などに精霊流しに関する記事や広告が多く掲載されていた。日中戦争が始まった2年後の1939年、長崎市長名で墓地での爆竹禁止や飲食禁止の通達が出たとの記事を地元紙が掲載。その後、墓地での電飾も廃止され、ちょうちんなどの消灯時間は午後10時、同9時と徐々に早められ、精霊船に付ける個数も制限された。43年には花火や爆竹は一切禁止という記事があり、戦況が悪化した44年には空襲警報が出た場合はすぐに灯籠の明かりを消す通達の記事も掲載されている。終戦直前の45年の夏になると、西日本新聞などが屋外の灯籠は禁止、防空服を身につけ墓参りは交代で行くという規制を報じた。

 原爆投下と終戦翌年の46年には、原爆犠牲者の初盆で「相当華美な盆祭りが行われるものと予想される」(7月10日付長崎新聞)ため、混乱を防ぐため花火と爆竹は禁止との記事があった。47年から花火や爆竹を打ち鳴らす行事に戻った。

 規制が厳しくなっていく一方、どんな状況でも毎年盆行事があったことに、土肥原所長は「長崎の人が先祖を敬って故人をしのぶ心を大切にしていたことがわかる」とする。

 このほか、精霊流しなどのお盆が、それまでの7月から現在の8月になったのが52年からという変遷を紹介。精霊流しの起源や精霊船の仕組みなどもまとめている。

=2017/08/14付 西日本新聞朝刊=

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