平戸の按針 不当な処遇 英国商館との不和裏付け オランダ商館文書を解読、クレインス日文研准教授 [長崎県]

ハウトマン書簡が記されている平戸オランダ商館文書(ハーグ国立文書館所蔵)
ハウトマン書簡が記されている平戸オランダ商館文書(ハーグ国立文書館所蔵)
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クレインス氏
クレインス氏
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 徳川家康の外交顧問を務めた後、平戸英国商館に勤めるなど、平戸を拠点に英国、オランダの交易や仲介に関わった英国人ウイリアム・アダムス(三浦按針)が交易のあり方を巡り、日本人乗組員たちを擁護する一方、英国側から不信の目を向けられていたことが、平戸オランダ商館の文書で改めて裏付けられた。国際日本文化研究センターのフレデリック・クレインス准教授が解読した。

 文書は、1616年6月8日付でオランダのシャム(現在のタイ)商館長マールテン・ハウトマンが、平戸商館長ジャック・スペックスに宛てた書簡。オランダのハーグ国立文書館に所蔵されている。

 アダムスは当時、平戸英国商館の指示でシャムでの交易のため船長として渡航。交易船の乗組員の多くは日本人で、乗組員個人の交易用として一定量の品物を積むことが慣習で許されていた。シャムの英国商館側は「特権乱用」としてアダムスに説明を求めたが、アダムスは乗組員側に立って容認するよう求めたという。

 今回解読されたハウトマン書簡はそうした事情に触れながら、こう書いていた。「(シャムで)我々(われわれ)(オランダ商館)はアダムスと良い関係を保ち、彼との楽しい付き合いに感謝した。(略)彼は善良で、誠実で、信心深い人物で、皆と友好的な関係を築こうとしている。彼が英国人からとても不当な扱いを受けたことは気の毒である」。さらに「(別の木材交易の不調の原因について)すべてをアダムスのせいにしている。私の知る限りではアダムスはすべてにおいて最善の助言をしようとしているのに」と擁護している。

 クレインス氏によると、アダムスは母国の英国人を優先せず、日本人やオランダ人、スペイン人とも等しく交流した国際人で、アダムスは知人に宛てた書簡で「日本人は親切で礼儀正しく、勇ましい」と称賛した親日派でもあった。

 アダムスの英国人との不和はアダムスの書簡や日記に記述はないが、当時の平戸英国商館文書に記されている。今回のハウトマン書簡について、クレインス氏は「アダムスと英国商館との不和が第三者の記録で裏付けられた。アダムスは日本、アジアの商習慣を熟知しており、日本と外国の間に争い事があるとたびたび日本人側の弁護をしたので、そういう意図はないのに、英国人には一種の裏切りと受け取られたのではないか。客観的に状況を見ていたオランダ人には、英国人によるアダムスの処遇は『不当』に映ったのだと思う」と話している。

 ウイリアム・アダムス(三浦按針、1564~1620) 1600年に豊後臼杵沖に漂着。徳川家康から旗本として相模国逸見(へみ)に所領を与えられた。シャムへの渡航中、家康が死去。2代将軍秀忠は英国の交易を平戸に限り、英国商館やアダムスは活動拠点を平戸に移す。居住する平戸の日本人商家宅で死去。平戸市は没後400年の2020年に向け、按針墓地とされる市内の崎方公園の一角で人骨を発掘し、解析を進めている。

=2017/09/09付 西日本新聞朝刊=

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