義足、義手、義眼…平和の尊さ静かに伝える 証言映像の放映も 長崎歴史文化博物館の戦傷病者史料館展 [長崎県]

腕を失った人が使った義手。会場の一角には体験装着コーナーが設けられている
腕を失った人が使った義手。会場の一角には体験装着コーナーが設けられている
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被爆して左目を損傷した中里益太郎さんが使っていたガラス製の義眼
被爆して左目を損傷した中里益太郎さんが使っていたガラス製の義眼
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県傷痍軍人会、妻の会のたすき。全国で唯一、会が存続している
県傷痍軍人会、妻の会のたすき。全国で唯一、会が存続している
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 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で8日まで開かれている「戦傷病者史料館」(東京)の地方巡回展には、戦地で負傷した軍人らが使った義足など約110点が並ぶ。大半は県内を中心とする九州関係者ゆかりの品々。物言わぬ装具が戦争の悲惨さ、平和の尊さを静かに伝える。

 博物館3階の企画展示室(約200平方メートル)。入ってすぐに「しょうけい館」とも呼ばれる史料館の名称の由来が示されている。軍人や家族の労苦を「承継」するため厚生労働省が2006年に開設。多くの世代に親しまれるよう平仮名で表したという。

 最初の展示は「県傷痍(しょうい)軍人会」「県傷痍軍人妻の会」のたすき。戦後、生活に困窮した旧軍人や家族が政府に援護を求める際、結束を示すためにまとった。各地の会を束ねる全国組織は高齢化のため5年前に解散。全国で唯一存続する長崎の会も、妻の会を合わせて120人を数えるだけ。会員らは「先人たちが残してくれた組織。可能な限り続けたい」と願う。

 県出身の戦傷病者6人が史料館に提供した装具品などのコーナーもある。被爆して負傷した男性の義眼。義手や義足、診断書などが並ぶ。

 横田肇さん(102)=大村市=はシンガポールでの戦闘中に左腕を銃で撃たれた。マレーシア・ジョホールバルの病院で麻酔もかけずに銃弾を摘出。一足先に現地を離れた仲間の船は撃沈された。「生かされた」とのコメントを寄せた。

 坂井弘さん(87)=長崎市=は学徒動員先の三菱製作所で兵器の部品製造に関わった。原爆投下で被爆、足にも深い傷を負った。戦後は障害に負けまいと「誰よりも早く出勤し、嫌がる仕事もやった」とある。

 史料館は寄贈者らを中心に体験談を映像で記録する活動も行っており、会場の一角で6人の証言映像を放映。戦場や動員先の工場で傷を負っても、周囲の多くが亡くなっているため客観的な証明や証言がなく、一定の恩給が支給される「戦傷病者」と認められなかった例も少なくないという。

 帰国がかなった傷痍軍人、戦地で亡くなった軍人、空襲で亡くなった市民。戦争はあらゆる立場の人を巻き込み、さまざまな悲劇を生み出すという当たり前のことをあらためて感じさせられる。

     ◇

 史料館は13年の日本傷痍軍人会の解散を契機に地方巡回展を始め、長崎は14年の福島に次いで2カ所目。

=2018/07/06付 西日本新聞朝刊=

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