浦上天主堂で「流刑150年」記念ミサ 苦難の先人に思いはせ 司祭らを招きシンポも [長崎県]

潜伏キリシタンへの弾圧事件「浦上四番崩れ」の流刑が始まって150年になるのに合わせ、浦上天主堂で開かれた記念ミサ
潜伏キリシタンへの弾圧事件「浦上四番崩れ」の流刑が始まって150年になるのに合わせ、浦上天主堂で開かれた記念ミサ
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記念ミサには約500人が参加し、弾圧された先人に思いをはせた
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 幕末から明治初期にかけて行われた長崎市浦上地区の潜伏キリシタン弾圧事件「浦上四番崩れ」で、各地への流刑が始まって今月で150年になるのに合わせた記念ミサが22日、同市本尾町の浦上天主堂で開かれた。流刑先のカトリック教区司祭らを招いたシンポジウムもあり、約500人が出席。信仰によって弾圧された先人たちに思いをはせた。

 禁教下の1865年3月、浦上村の潜伏キリシタンが完成間もない大浦天主堂を訪れフランス人神父に信仰を告白した「信徒発見」の後、キリシタンは檀家(だんか)寺と関係を絶つと表明。このため奉行所が村を探索し、四つの秘密教会などに踏み込んだ。最終的に全村民に当たる3394人が流刑となり、全国の20藩に流されることになった。

 明治新政府もキリシタン禁制を踏襲。68年7月20日、第1陣として萩(山口県)、津和野(島根県)、福山(広島県)に男性計114人が流された。浦上キリシタンは流刑を「旅」と呼んで村に帰る日を待ち望んだが、各地で改宗を迫られたり、拷問を受けたりして多くの殉教者や棄教者を生んだ。

 記念ミサを執り行ったカトリック長崎大司教区の高見三明大司教は、浦上キリシタンが殉教することや、家や田畑が他人の手に渡ることを覚悟して着の身着のまま流刑となったと解説。「(浦上四番崩れは)日本で教会が復活する機会を神が与えた苦難だった」などと厳かに語りかけた。

 流刑先があった各地のカトリック6教区から出席した司祭らによるシンポジウムも開催。名古屋教区からは収容所の近くからキリシタンとみられる人骨が40体見つかったとの報告があったほか、薩摩藩はキリシタンを丁寧に迎え入れ、改宗は迫ったが出稼ぎを許可していたとする鹿児島教区の発表もあった。

=2018/07/24付 西日本新聞朝刊=

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