兵庫から壱岐へ流刑の祖父追う 尼僧の旅611キロたどる 出身地朝来市の住民20人 [長崎県]

壱岐市芦辺町の小山弥兵衛の墓にたどり着き、手を合わせる「歩く壱岐実行委員会」のメンバーたち
壱岐市芦辺町の小山弥兵衛の墓にたどり着き、手を合わせる「歩く壱岐実行委員会」のメンバーたち
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 江戸時代、壱岐に流刑になった祖父に会うため、但馬(現在の兵庫県)から壱岐まで旅をした孫の尼僧がいた。祖父の名は小山弥兵衛、尼僧は心諒尼(しんりょうに)といった。祖父孝行の思いに心を打たれた弥兵衛の出身地・兵庫県朝来(あさご)市和田山町東河(とが)地区の住民約20人が、心諒尼が歩いた道のりをたどる「歩く壱岐実行委員会」を結成、10月27日に到着した。総勢20人が交代で611キロをつないだ。

 弥兵衛は、1738(元文3)年に但馬で起きた農民一揆を首謀したとして流罪となった。壱岐では読み書きを教え、スギを植林するなど地域振興にも貢献したとされ、半世紀後、この地で没した。

 こうした縁をきっかけに、壱岐市と朝来市は2015年に友好都市提携を締結。今回のイベントもその一環で、4月28日に朝来市を出発した。休日などを利用して鳥取、島根、山口を経て九州へ。この間、5~8人のチームで1日20~25キロを踏破。車1台が同行する形式で進め、歩いた場所から朝来まで車で戻り、次回は引き返した地点から歩きだし、また車で戻ることを繰り返した。鳥取までは日帰りだったが、島根からは泊まりがけになったという。台風にも遭遇し、雨の中を歩く場面もあった。

 10月27日、博多港からは壱岐まで船で渡った一行は、郷ノ浦港からバスに乗って、弥兵衛が過ごした寺の跡に立つお堂に移動。そこからは、8月に弥兵衛と心諒尼を題材にした演目を披露した壱岐市の市民劇団「未来座・壱岐」のメンバーも合流、最終目的地の弥兵衛の墓まで約4キロを歩いた。

 墓に線香を手向け、全員で黙とう。心諒尼は男装をして、托鉢(たくはつ)をしながら旅を続けたとされる。その労苦は、半年近くかけて、ようやくたどり着いたメンバーたちにも通じている。実行委員長の浜信雄さん(67)は達成感に満たされた様子で「当時ははっきりした地図も情報もない中、生きて帰れるか分からない旅だったと思う。(心諒尼の)覚悟は計り知れず、苦労を少しは体験できたと思う」と語った。

=2018/11/07付 西日本新聞朝刊=

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