海軍の水道施設、今も現役 国内3番目に建造、先端機能も 佐世保 [長崎県]

1889年に造られた矢岳貯水所。フェンスの向こうに水をためていた
1889年に造られた矢岳貯水所。フェンスの向こうに水をためていた
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山ノ田水源地の地下トンネル。ためた水はこの中のパイプを通って浄水場へ運ばれる
山ノ田水源地の地下トンネル。ためた水はこの中のパイプを通って浄水場へ運ばれる
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 佐世保市に旧日本海軍が水道施設を建設してから、来年で130年になる。当時の最先端施設は海軍ばかりでなく、市民生活を潤した。高い技術を誇る「海軍の遺産」は今も現役として活用されているが、半面、市の新たな水資源対策は後手に回っている。

 佐世保市で10月、近代水道施設の見学ツアー(市教育委員会主催)があった。約30人の参加者が最初に訪ねたのは、佐世保港に程近い今福町にある矢岳貯水所。1889(明治22)年に横浜市、北海道函館市に次いで3番目にできた近代水道施設だ。

 れんがと石材でできた貯水施設が残る。ろ過するための池も近くにあり、貯水とろ過の機能を備えていた。造ったのは旧日本海軍。市教委文化財課の川内野篤さんの解説を聞く。

 明治政府は87年、船舶の停泊に適した地形を持つ佐世保で、海軍鎮守府の建設を始めた。ところが、鎮守府に供給する水が足りない問題に直面。急きょ建設したのが矢岳貯水所だった。

 設計は「近代水道の父」と呼ばれる海軍技師、吉村長策。大阪で生まれ、工部大学校(現東京大)で土木技術を学んだ。86年に長崎県から水道工事計画のため招請され、後に長崎市の本河内高部ダムの建設にも携わった。

 時代は日清戦争前。矢岳貯水所に蓄えた水は鎮守府や艦船、海軍病院へ給水された。市民は海軍が余した水を1斗(約18リットル)1銭で買っていたという。

 飲み水を供給するのは自治体が一般的だが、鎮守府設置が都市化のきっかけとなった佐世保では、その役割を海軍が担った。

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 海軍が残した施設は現在も使われている。1907(明治40)年に建設された桜木町の山ノ田水源地も、その一つ。有効貯水量約55万トンのダムだ。

 ツアーの参加者は山ノ田水源地の地下に入り、取水施設を見学した。完成当時から変わっておらず、取水塔に「明治三九」の刻印があった。

 「海軍の技術者はお金をかけて、意地でも長く持たせるという考え方だった。100年も維持できる施設は現代の公共工事でも難しい」。川内野さんは技術力に感嘆する。

 佐世保市中心部にあるダム6カ所のうち、3カ所は戦前に海軍が造った。海軍の水道施設を活用している旧軍港都市の中でも、佐世保の施設は古いという。

 市水道局の職員は「歴史的価値はあるが、老朽化しているので、すぐにでも改修したい」と話す。

 だが、水道局によると、建設時の資料はなく「水をためたまま、ダムにたまった土砂の量や底の深さを把握するのは限界がある」。ダムの水を抜き、再度ためるまでに1年は必要で、改修工事で機能を停止すると、市民への水道供給に支障が出る。

 過去に何度も水不足に見舞われた佐世保市。今年も少雨の影響で、8月から渇水対策本部が設置されている。元々ダムの適地は少なく、貯水規模も小さい。海軍の遺産に頼りつつ、水資源対策は長く市政の懸案となったままだ。

 川内野さんは「海軍が造った水道施設の研究をしていると、吉村長策から『この現状をどうするか』と問い掛けられている気持ちになる」と語った。

=2018/11/29付 西日本新聞朝刊=

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