佐世保空襲どう伝える 資料館の運営に苦慮 管理団体進む高齢化、細る資金 [長崎県]

防空ずきんなどを展示する資料館。市民が提供したものが多い
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佐世保空襲を伝え継ぐ意義を語る臼井寛会長
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旧戸尾小校舎の2階にある佐世保空襲資料館
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佐世保空襲資料館の開館12周年を記念し、8日に開かれた講演会
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 1200人以上が犠牲になった佐世保空襲をはじめ、戦争の悲惨さを伝えるために開設された佐世保空襲資料館(佐世保市戸尾町)が運営に苦慮している。2006年の開館から12年。管理する佐世保空襲犠牲者遺族会は高齢化が進む。「会員が亡くなったり、病気になったりで活動が縮小している。遺族からお借りした大事な遺品の管理も難しくなった」。臼井寛会長(84)は悩みを深める。

 焼け野原になった佐世保市街の写真、炎で溶けた瓦、焼夷(しょうい)弾の破片、市民が使った防空ずきん…。1945年6月28日深夜から29日未明にかけての佐世保空襲に関する資料が並ぶ。

 資料館は遺族会と佐世保空襲を語り継ぐ会(早稲田矩子代表)が「甚大な被害が出た空襲を語り継ぐ施設を造ってほしい」と市に要望し、旧戸尾小の教室を活用して開設された。毎週土曜と日曜に開館し、遺族会の幹事と語り継ぐ会の人たちがボランティアで案内役を務めている。

 年間来場者は800人。全国の戦争体験者の割合が2割を切り、伝え継ぐことが困難になる中で、佐世保空襲資料館は戦火に遭った人たちの声を直接聞くことができ、小中学生の平和学習の場になっている。

 一方で、開館当初は18人いた遺族会幹事は亡くなったり、病気で入院したりして7人に減った。最高齢は90代。館内にはエアコンがないため、夏の暑さをしのぐのは扇風機が頼り。今年の猛暑は蒸し風呂のようになり、ボランティアの体力を奪った。

 「夏休みの自由研究に来る子どもたちのためにも案内しなくてはならない。そう思って役を務めたが、あの暑さは年寄りにつらい。来年以降も大変だろう」。ボランティアにとっては、国道から少し高台にある資料館へ足を運ぶのも一苦労だった。

    §   §    

 展示品、遺品の管理も切実な問題になっている。

 2千点以上ある資料の多くは空襲に遭った市民、遺族から寄せられた。資料館にはガラスケースが一つしかなく、資料の多くは机の上などに展示。一部は倉庫に保管しているが、終戦から70年以上が経過し、傷みが目立つ物もある。

 「家族の遺品を提供した遺族が管理状態を見て、返却を求めたこともあった」と臼井会長は残念がる。

 遺品を保護するために、遺族会でガラスケースを購入することも検討したが、費用の問題にぶつかった。資料館の年間運営資金は、遺族会の会費20万円弱と佐世保市からの補助金12万円のみ。会員は年々減り、会費は細る一方だ。

 自治体によっては、地域に残る戦争資料を公的施設に保管している。それに比べると、佐世保空襲資料館の管理は十分と言えない。

 遺族会と語り継ぐ会は、資料を保管する施設や空襲の犠牲者名簿の管理を市に要望しているが「施設を新たに造るのは難しい。図書館などで場所を探しているが見つかっていない」(市民安全安心課)と、色よい返事は返ってこない。

 臼井会長は佐世保空襲で祖母ら家族3人を失った。平和を守るため、戦争の実相に迫り、後世に語り継ぐ大切さを身をもって知る。

 「遺族会も会員も、やがてなくなる。そうなったときにも、佐世保でこれだけ悲惨なことがあった事実は誰かが伝えなければならない」。焼夷弾を浴びた市街地の一角で訴え続ける。

=2018/12/13付 西日本新聞朝刊=

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