「平和とは」多様に表現 映画、朗読、写真…長崎市でフォーラム [長崎県]

広島と長崎の両方で被爆した姉弟の様子を描いた朗読劇。観客はじっと聞き入っていた
広島と長崎の両方で被爆した姉弟の様子を描いた朗読劇。観客はじっと聞き入っていた
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「最後の1人まで被爆者を撮り続けたい」と話すポーレ・サヴィアーノさん。展示作品には昨年8月に亡くなった谷口稜曄さんの写真もあった
「最後の1人まで被爆者を撮り続けたい」と話すポーレ・サヴィアーノさん。展示作品には昨年8月に亡くなった谷口稜曄さんの写真もあった
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 原爆や戦争をテーマにした映画や写真展を通じて、市民に平和のあり方を考えてもらう恒例の「長崎国際平和映画フォーラム」が15日、長崎市で始まった。この日は広島と長崎の両方で原子野を目の当たりにした姉弟を描いた朗読劇が上演され、被爆者を撮り続ける米国人写真家が作品展を開催。16日は3本の映画上映があり、閉幕する。写真は19日まで展示されている。

■「二重被爆」の姉弟 過酷な経験を朗読劇に

 広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」の姉弟、福井絹代さん(88)と相川国義さん=享年(84)=の朗読劇は長崎原爆資料館で上演された。劇団「無名塾」メンバーが読み上げる当時14歳と12歳が過ごした過酷な数日間を、訪れた人は真剣な表情で聞き入った。

 姉弟は長崎市出身。1944年ごろに父親の転勤で広島市に引っ越した。まだ幼い頃、両親は別れた。父が出征中の8月6日、原爆が投下された。爆心地から約1・7キロ。姉は全壊した家の下敷きになり、左耳の聴力を失った。

 街は地獄だった。丸焦げになった遺体、全身の皮膚がただれた女学生…。頼るあてもなく、8日、避難列車で親戚がいる長崎へ向かった。

 到着は9日。道ノ尾駅に差し掛かった列車が急停車した直後、上空を爆撃機が通過。しばらくすると爆音と爆風が起き、列車の下に身を隠した。爆心地から約3キロ。2度目の被爆だ。

 大浦町の親戚宅で過ごし、母がいる旧黒崎村まで約40キロを歩いた。10日夜、母と再会。姉はその時の気持ちをこう振り返る。「体の力が抜けるような、つらさや苦しさが溶けていく思いがした-」

 朗読劇を制作したのは同じく「二重被爆」した故・山口彊さんのドキュメンタリーで監督を務めた稲塚秀孝さん(68)。16年から姉の福井さんを取材し、弟の相川さんが残した手記も読み込んで脚本を書いた。稲塚さんは「幼い姉弟が原爆に翻弄(ほんろう)された事実を伝えたかった」と語った。

■被爆者25人“声なき声” 米在住写真家が作品展

 被爆者を撮り続ける米ニューヨーク在住の写真家ポーレ・サヴィアーノさん(44)の作品展は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が会場。写真に刻まれた長崎の被爆者25人の“声なき声”を、来場者は食い入るように見ていた。

 サヴィアーノさんは2007年に世界各地の戦争被害者などを撮影するプロジェクトをスタート。長崎には08年に初めて訪れ、これまで約130人の被爆者の写真を撮影している。

 会場に並ぶ被爆者の多くは、写真の中で空(くう)を見つめる。「『あの日』を思い出しているのかもしれない」。作品展に合わせて来日したサヴィアーノさんはそんな感想を口にした。

 それぞれの写真には、最も印象に残った被爆者の言葉を添えた。昨年8月に亡くなった谷口稜曄(すみてる)さんのそばには「私は忘れ去られることが怖い。忘却が、新たな原爆を呼ぶのではないかと恐れている」と書き留められた。

 会場で開かれたトークセッションでサヴィアーノさんは撮影を続ける理由を「歴史の中で埋もれていく被爆者たちの声を取り上げ、残したい」と表現した。

=2018/12/16付 西日本新聞朝刊=

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