被爆、女性たちはどう生きた 顔の傷、差別、結婚、子育て… 追悼平和祈念館で企画展 苦悩つづった手記並ぶ [長崎県]

女性たちの苦悩がつづられた手記が並ぶ企画展会場
女性たちの苦悩がつづられた手記が並ぶ企画展会場
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寄贈された女性たちの手記の原本も展示されている
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 74年前、長崎原爆によって心と体に傷を負った女性たちは、その後どんな人生を歩んだのか。顔の傷、差別、結婚、ひとり親での子育て…。思い思いの苦悩をまとめた手記を紹介する企画展「女性たちの原爆」が、長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で開かれている。克明につづられた女性被爆者の叫びは、原爆被害の一つの断面を突き付ける。

 会場に並ぶのは、本人や遺族から寄贈された手記と、厚生労働省が収集した被爆体験記から抜粋した20人分の記録。企画展はかねて行っていたが、偶然にも女性からの手記の提供が昨年相次いだため、初めて女性をテーマにした展示を考案した。

 昨年亡くなった淵本玲子さんは16歳で、爆心地に近い三菱兵器製作所大橋工場で被爆した。建物の崩壊に巻き込まれ右耳から頬にかけて大きな傷痕が残った。「顔の傷を厚化粧で隠していました」。外見ばかり気にした当時を「灰色の青春」と振り返った。12年後に親族が紹介した男性と結婚したが、素顔を見た夫に「傷があることが分かっていたら結婚していなかったかもしれない」と心ない言葉を浴びせられたという。

 主婦だった故・山田セモさんは、原爆で夫を失った。投下から1週間後、夫の遺体を発見。そのときの悲しさを「自分の骨もばらばらになった感じ」と表現した。7歳と2歳の娘を抱えた生活について、こう記した。「ただ生きてきた。かろうじて生きてきたのだと思う-」。具体的な記載はないが、その文面から言われぬ苦労がにじむ。

 この他、放射能の影響を考え出産に不安を抱いたこと、周囲に被爆を知られ自殺を考えたこと、子どもを亡くして悲しみに暮れたことなどを書いた手記が展示されている。同館の女性担当者は「女性ならではの被害、痛みがある。一口に原爆と言っても、置かれた環境や状況によって、多様な受け止めがあることを知ってほしい」と来場を呼び掛けている。12月25日まで。入場無料。同館=095(814)0055。

=2019/02/21付 西日本新聞朝刊=

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