被爆者の生の声、後世に 友の遺志継ぐシンガー 広島市のHIPPYさん、バーで「証言の会」

原爆投下の目標地点だったとされる相生橋で、「証言の会を続けていきたい」と話すHIPPYさん=3日正午すぎ、広島市中区
原爆投下の目標地点だったとされる相生橋で、「証言の会を続けていきたい」と話すHIPPYさん=3日正午すぎ、広島市中区
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 広島市中区の歓楽街にあるバーで、被爆者の証言の会を10年以上続けてきた冨恵(とみえ)洋次郎さんが先月、肺がんのため37歳で亡くなった。その遺志を、同市のシンガー・ソングライターのHIPPY(ヒッピー)さん(36)が継ごうとしている。自分自身を「平和に熱くない」と評するが、市が3年かけて行う被爆体験の伝承者養成講座に参加するなど、ヒロシマと向き合ってきた。5日に福岡県の被爆者を招き、141回目となる証言の会を開く。

 冨恵さんとの出会いは2009年ごろ。知人の紹介でバーのドアをくぐった。甲子園を目指した元球児という共通点や、飾らない人柄に、すぐに意気投合した。バーの客から原爆のことを聞かれて何も答えられなかった経験から、冨恵さんが06年2月に始めた証言の会。毎月6日の夜に、HIPPYさんも自然と顔を出すようになった。

 バーで語られる「8月6日」の体験。何も知らなかった。空襲で延焼を防ぐために家屋を取り壊す作業をしていた約6千人の学徒が被爆死したこと。広島カープの優勝パレードなどが行われる「楽しいイメージ」の平和大通りを、学徒の墓場と被爆者が言ったこと…。気付けば証言をメモに取るようになった。

 昨年からは、被爆者の証言を引き継ぎ、講話をする「伝承者」の養成講座に参加。「証言してくれる人がいないときは、僕がバーで話しますよ」と冨恵さんに伝えていた。その矢先、冨恵さんの病気が発覚した。末期の肺がんだった。

 経営するバーが火事になっても、がんと診断されても、冨恵さんは毎月の証言の会を続けてきた。「原爆で家族を失い、焼け野原から広島をつくってきた被爆者の生きざまを聞いているから、たかが火事、たかが病気と思ったんだろう」とHIPPYさんは言う。

 亡くなる4日前、病室に呼ばれた。冨恵さんはベッドに横たわり酸素吸入をしながら、「会をやってほしい。趣味程度でもいい」と途切れ途切れに言ったという。だが、仕事で県外に行くことも多く、その場で良い返事ができなかった。引き受けると決めた7月3日、冨恵さんは亡くなった。

 HIPPYさんは最近、自身が被爆3世であることを知った。被爆者だった祖父は2年前に他界しており、体験を聞かなかったことを後悔した。「被爆者の生の声を聞けることは本当に貴重。洋次郎さんが続けてきた、誰でも聞きに来られる雰囲気を大事にしながら続けていきたい」と話す。

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 141回目の「証言の会」は5日午後6時半から、広島市中区中町の「ライブジューク」。問い合わせ=082(249)1930。通常の「証言の会」は同区のバー・キャメルで開かれる。

=2017/08/04付 西日本新聞夕刊=

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