定説を覆す?千々石ミゲル、棄教していなかった? 発掘の3ミリ玉、聖具の一部か 長崎の石碑調査 研究者ら指摘

「千々石ミゲルの墓」発掘現場で見つかった直径3ミリの玉
「千々石ミゲルの墓」発掘現場で見つかった直径3ミリの玉
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 天正遣欧使節の一人、千々石(ちぢわ)ミゲルの墓とされる長崎県諫早市の石碑周辺の発掘調査に、研究者らの関心が高まっている。ミゲルは同使節の少年4人のうち唯一キリスト教を棄教したとされるが、これまでの調査で祈りに使う聖具「ロザリオ」の一部とみられる玉などが出土。定説を覆し、ひそかに信仰を続けた「潜伏キリシタン」だった可能性が出ているためだ。調査は大詰めを迎え、今後もキリシタン関連の遺物が見つかるか注目される。

 ロザリオはカトリック教会で祈りの際に使われ、「コンタ」と呼ばれる玉を数珠のようにつないだもの。4日に見つかった玉は1個で直径3ミリのガラス製とみられ、中心に穴が開いている。近くに人間の歯数本や骨とみられる痕跡もあり、地元研究者らでつくる調査委員会は「被埋葬者が首付近に着けていた」とみる。

 ロザリオは島原の乱(1637~38年)の舞台となった原城跡(同県南島原市)でも、キリストなどを描いた「メダイ」や十字架とともに多く見つかった。今回出土した玉について、南島原市教育委員会文化財課の松本慎二課長は「原城跡のコンタに形状や材質が似ており、ロザリオの一部の可能性が高い」と話す。

 墓坑からは木棺とみられる遺構も出土。戦国時代のキリシタン大名、高山右近の居城だった高槻城跡(大阪府高槻市)でも木棺とロザリオが一緒に出土した例がある。当時は信仰が認められており、被埋葬者はキリスト教式に横たわっていたが、「ミゲルの墓」は墓坑の大きさから膝を抱えて埋葬された可能性が高い。近世の墓制に詳しいNPO法人「摂河泉地域文化研究所」(大阪府)の小林義孝理事は「埋葬方法は仏式だが、信仰の証しとしてコンタが納められたと思う。埋葬されたのは潜伏キリシタンだった」とみる。

 石碑がある一帯はかつて伊木力村と呼ばれ、大村藩の記録によると潜伏キリシタンが多かった。ミゲルは禁教令で弾圧が強まった頃に長崎から移ったとされる。

 埋葬されたのがミゲルという確証はなく、妻の可能性もあるが、現場を視察したキリシタン史専門の五野井隆史・東大名誉教授は、被埋葬者をミゲルと推定した上で「潜伏キリシタンの組織にかくまわれていた可能性がある。墓の造りも立派で、彼らの強い結び付きがうかがえる」と話した。

 千々石ミゲル 1582(天正10)年、九州のキリシタン大名が欧州に派遣した天正遣欧使節の一人。帰国後、4人の少年で唯一棄教したとされる。修道士会イエズス会を脱会後、名前を清左衛門と改めて大村藩に仕えた。晩年は大村藩を追放され、長崎に逃れたとされる。亡くなった場所や没年は不明だったが2004年、長崎県諫早市多良見町にある石碑をミゲルの墓とする説を地元の研究者が発表した。石碑にはミゲルと妻の戒名などが彫られている。

=2017/09/07付 西日本新聞朝刊=

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