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西南戦争から140年 鹿児島に慰霊塔建立 敵味方なく供養 西郷、大久保の子孫が仲直りの握手

西南戦争の戦死者を敵味方なく弔う慰霊塔の前で握手する大久保利通のひ孫利泰さん(右)と西郷隆盛のひ孫吉太郎さん
西南戦争の戦死者を敵味方なく弔う慰霊塔の前で握手する大久保利通のひ孫利泰さん(右)と西郷隆盛のひ孫吉太郎さん
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 日本史上最後の内戦となった1877年の西南戦争から140年を迎え、官軍(政府軍)、薩摩軍の戦没者を敵味方なく供養する慰霊塔が、鹿児島市の南洲墓地に建立された。西郷隆盛が自刃して終結した24日の前日の23日、除幕式があり、西郷家の子孫と、官軍の大久保利通の子孫が参列。互いに手を取り合い、恩讐(おんしゅう)を越えて先人たちの遺徳を伝えていくことを誓った。

 西南戦争は鹿児島県出身者を中心に親子兄弟、友人が官軍と薩軍の敵味方に分かれて激戦を繰り広げ、両軍合わせて1万数千人が戦死したとされる。西郷隆盛をはじめとする薩軍約2千人と県内で戦死した官軍約1200人は、鹿児島市内で別々に葬られている。

 島津家中興の祖、忠良は「仏様を供養するのに敵味方分け隔てをするな」と教えた。戦国時代、島津氏は教え通り、大友氏との耳川の合戦場や、朝鮮出兵後に和歌山・高野山に全ての戦死者を弔う慰霊碑を建立するなど、博愛慈悲の精神を示してきた。

 この薩摩武士道の精神文化を後世に伝えようと、鹿児島市の南泉院住職、宮下亮善(りょうぜん)さん(70)が西南戦争の犠牲者を分け隔てなく弔う慰霊塔を計画。有識者や文化団体に協力を呼び掛け、有志で昨年、「西南之役官軍薩軍恩讐を越えての会」を発足した。

 慰霊塔は、西郷ら薩軍兵士が眠る南洲墓地の桜島を見下ろす場所に建立した。高さ3・6メートルの御影石製で、6面の塔身に両軍の旗と戦闘を描いた錦絵がはめ込まれている。

 除幕式には全国から約200人が参列。塔の前で大久保のひ孫利泰(としひろ)さん(83)=東京都=と西郷のひ孫吉太郎さん(70)=川崎市=が固く握手を交わし、建立を祝った。利泰さんは「140年はわだかまりを越えるのに必要な時間で、人の努力も必要だった。慰霊塔の意義は大きい」。吉太郎さんは「日本人の精神文化である和の心を思い出し、歴史の中から多くの教訓を学びたい」と話していた。

=2017/09/26付 西日本新聞夕刊=

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