球児の伝統応援曲「コンバットマーチ」小倉高に源流 OB伝授、甲子園初演?

「小倉コンバットアゲイン」を練習する小倉高応援団員=22日、北九州市小倉北区の小倉高
「小倉コンバットアゲイン」を練習する小倉高応援団員=22日、北九州市小倉北区の小倉高
写真を見る
三木佑二郎さん
三木佑二郎さん
写真を見る

 野球の定番応援曲として親しまれる早稲田大発祥の「コンバットマーチ」。この曲を高校野球で先駆けて演奏したのが小倉高(北九州市小倉北区)だったことを、ご存じだろうか。1965年秋に早大応援部吹奏楽団の三木佑二郎さん(73)=現早大研究員=が作曲、小倉高OBが同校にもたらし、67年夏の福岡県北予選(現福岡北部大会)で演奏された。三木さんは「小倉高から、全国の球児を奮い立たせる曲に育った」と話している。

 コンバットマーチは、東京六大学野球伝統の早慶戦用に作られた。当時、早大野球部は慶応大になかなか勝てず、62年入学の三木さんが「せめて応援では勝ちたい」と4年生の時に作曲。65年秋の早慶戦で初演奏し、見事連勝した。

 このマーチに魅せられたのが、小倉高から67年に早大入学、応援部入りした田中博昭さん(70)=千葉県柏市=だった。「『いけ、いけ』と勢いのある旋律」に感激し演奏を録音、同年の夏休みに小倉高応援団の後輩に伝授した。後輩の一人、上田正孝さん(68)=北九州市小倉南区=は当時の猛特訓を振り返る。田中さんの口ラッパに合わせ、振り付けを炎天下の校庭で繰り返した。「音楽のテンポが良い分、大きな動作が必要でへとへとになった」という。

 「小倉コンバット」初披露の場となった県北予選は盛り上がった。小倉高野球部はマーチの勢いそのままに勝ち進み、決勝の九州工業(現真颯館高)戦は白熱。1点を追う九回、「ここぞ」とコンバットマーチを繰り出した。試合は一歩及ばなかったが、小倉高は2年後の69年春に選抜高校野球大会への出場を果たした。三木さんは「時期から考えて、甲子園初演も小倉高ではないか」とみる。

 三木さんは10月、小倉高を訪れ、新たに作曲した「小倉コンバットアゲイン」を贈った。甲子園に春夏通算21回出場した古豪へのエールだ。徳永直樹野球部主将(16)は「レベルを上げて甲子園に出場したい」と奮い立ち、浜田青葉応援団長(17)は「アルプス席にマーチを響かせたい」と力を込めた。

【ワードBOX】コンバットマーチ

 高校野球を中心に応援の定番曲として根付き、「チャンスマーチ」として得点圏にランナーがいる好機に演奏されることが多い。曲名は1960年代に国内で放送された米国のテレビドラマ「コンバット!」に由来する。

=2017/11/27付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]