筥崎宮大鳥居、惜しまれ引退 88年前建立、安全確保へ解体 再建予定なく住民「寂しい」

老朽化により取り壊されることになった筥崎宮の大鳥居=8日午前10時45分、福岡市東区
老朽化により取り壊されることになった筥崎宮の大鳥居=8日午前10時45分、福岡市東区
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博多祇園山笠の締め込み姿の男たちも、筥崎宮の大鳥居(奥)をくぐって「お汐井とり」に参加する=2006年
博多祇園山笠の締め込み姿の男たちも、筥崎宮の大鳥居(奥)をくぐって「お汐井とり」に参加する=2006年
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家族連れなどでにぎわう筥崎宮の放生会。手前が大鳥居=1991年
家族連れなどでにぎわう筥崎宮の放生会。手前が大鳥居=1991年
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 日本三大八幡宮の一つとされる福岡市東区の筥崎宮(田村靖邦宮司)で、88年前に建立された大鳥居が、老朽化により取り壊されることになった。国道3号沿いに立ち、地元のシンボル的な存在として親しまれてきたが、再建の予定はないという。8日、解体清め式があり、巨大鳥居が間もなく消えることに、地元住民からは「慣れ親しんだ風景が変わるのは寂しい」との声も漏れた。

 大鳥居は鉄筋コンクリート製で、高さ16・25メートル、2本の柱の円周は10・30メートル。全国には高さ30メートル以上の鳥居もあるが、柱の太さは国内有数を誇るという。昭和初期の1930年に県議会議長だった林田春次郎氏が寄進し、清水組(現清水建設)が建てた。当時の松本学知事が、扁額(へんがく)に「八幡宮」と揮毫(きごう)している。

 戦時中は大きな被害は受けず、74年に上部の一部崩落に伴って補修。2年前の熊本地震では、福岡市でも震度5弱の揺れがあり、その後、表面のモルタルの一部がはがれ、柱にひび割れができた。筥崎宮は、これまでも定期検査を実施してきたが、昨年末に「モルタルが落下する危険性がある」などと診断され、通行人らの安全確保のために取り壊しを決めたという。工期は4月30日までで、解体費は約4千万円。

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 なぜ、こんな巨大な鳥居を建てたのか。奉納した林田氏は現在の福岡県田川市出身で、後に初代田川市長に就いた実業家兼政治家。筥崎宮だけでなく、17年には宮地嶽神社(福岡県福津市)、56年に英彦山神宮(同県添田町)のほか、地元の風治八幡宮(田川市)などに八つの鳥居を寄進している。

 実は筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門も、06年に宮地嶽神社、12年に太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に鳥居を建立した。県文化財保護審議会の山野善郎専門委員は「昔は、大きな鳥居を寄進するのは富裕層のステータスだった」と解説する。

 林田氏は、高さ100尺(約30メートル)の大鳥居の建立を目指していたが、「楼門(高さ約16メートル)より高いのはいかがなものか」との異論があり、断念したとの逸話もある。

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 地元からは名残を惜しむ声もあるが、再建は難しそうだ。

 建築会社関係者は、再建費として約5億円を見込む。8日午前の神事の後、田村宮司は取材に「寂しく、地域に申し訳ない気持ち。楼門や本殿、拝殿の屋根修復などの事業もあり、今のところ再建は考えていない」と述べた。

 郷土史愛好家グループの東区歴史ガイドボランティア連絡会の古賀偉郎(よしろう)前会長は「寂しいし、惜しい気持ちはあるが、昔のように巨額の寄進者が現れる時代ではないだろう。安全面を考えればやむを得ず、ご苦労さまでしたと感謝したい」と話す。

 ▼筥崎宮 平安期の923年に遷座されたとされる。応神天皇、その母神功(じんぐう)皇后、神武天皇の母玉依姫命(たまよりひめのみこと)が祭られている。楼門の扁額(へんがく)「敵国降伏」は醍醐天皇の下賜。新春の伝統行事「玉取祭(たまとりさい=玉せせり)」や、秋祭りの放生会(ほうじょうや)は多くの参拝客でにぎわう。「勝運の神」としても有名で、福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などが例年、必勝祈願を行っている。1546年建立の本殿と拝殿、1594年建立の楼門、1609年に黒田長政が建立の一之(の)鳥居、千利休が奉納した石灯籠は国指定重要文化財。二之鳥居は1917年、浜之鳥居は1974年にそれぞれ建立。

=2018/03/08付 西日本新聞夕刊=

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