焼失天守閣伝える瓦 小倉城 堀から発見 小笠原 細川 豊臣の家紋入り

大量の瓦や部材などが見つかった小倉城の内堀=16日午前、北九州市小倉北区
大量の瓦や部材などが見つかった小倉城の内堀=16日午前、北九州市小倉北区
写真を見る
小倉城の堀から見つかった瓦。細川家の家紋「九曜」(右)、小笠原家の家紋「三階菱」(下)、豊臣家の家紋「桐紋」(左)が使われている=16日午前、北九州市小倉北区
小倉城の堀から見つかった瓦。細川家の家紋「九曜」(右)、小笠原家の家紋「三階菱」(下)、豊臣家の家紋「桐紋」(左)が使われている=16日午前、北九州市小倉北区
写真を見る
焼失した天守閣のものとみられる激しく焼けた部材も見つかった
焼失した天守閣のものとみられる激しく焼けた部材も見つかった
写真を見る

 北九州市は16日、小倉城(小倉北区城内)の内堀から、1837年の火災で焼失した天守閣の瓦や木材片とみられる遺物が見つかったと発表した。天守閣は火災以降、1959年まで再建されず、江戸期の天守閣の遺物が見つかったのは初めて。調査した市芸術文化振興財団は「文献でしか確認できなかった当時の火災の実証につながる貴重な資料」としている。

 調査は2月27日から今月20日までの予定で、築城技術の解明などを目的に、天守閣を囲む内堀の水(約4400立方メートル)を抜いて実施。空になった堀の8メートル四方を深さ約2・5メートルにわたって発掘したところ、千点以上の瓦や約50点の木材片、約20点の陶磁器などが見つかった。木材は多くが焼け焦げており、同財団は「火災の際、天守閣の柱に使われていた部材や瓦が焼け落ちた」とみる。

 瓦は当時の小倉城主・小笠原家の家紋「三階菱」のほか、江戸初期の城主・細川家の家紋「九曜」が入った瓦もあった。土の下層からは豊臣家の家紋を記した瓦も発見された。1602年に細川忠興が小倉城を築城する前に、戦国大名の毛利元就が平城を築いたとされており、「戦国時代に豊臣氏とゆかりが深い毛利家が使った瓦の可能性がある」(同財団)という。

 小倉城は1837年に城内で発生した火災で全焼。本丸などは2年後に再建されたが、天守閣は再建されなかった。幕末の1866年に長州藩に攻められ、小倉藩が自ら城に火を放って炎上した。

 市は17日午前11時から、現地説明会を開く。

=2018/03/16付 西日本新聞夕刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]