野呂邦暢 未完の長編に光 没後38年、6月発売の作品集に収録 唯一の「長崎原爆」テーマ

 長崎県諫早市を拠点に活動した芥川賞作家、野呂邦暢(くにのぶ)(1937~80)の未発表の長編小説「解纜(かいらん)のとき」が6月1日発売の作品集に収録される。長崎原爆を正面からテーマにした唯一の作品。野呂がライフワークとして取り組みながらも未完のため埋もれていたが、没後38年を経て日の目を見る。野呂をしのんで毎年同市である「菖蒲(しょうぶ)忌」が27日に催されるのを前に、ファンへ朗報が届いた。

 作品集は東京の出版社、文遊社が2013年に刊行を始めた「野呂邦暢小説集成」で、「解纜のとき」はシリーズの完結となる第9巻「夜の船」に入る。

 「解纜のとき」は原稿用紙850枚でなお未完の大作で、1970年ごろの長崎市が舞台。諫早で被爆を免れ、生き残った罪悪感を抱える三宅と、白血病で死を覚悟する被爆者吉野を主人公に展開する。野呂らしい詩的な文体で長崎の風景を切り取りつつ、米ソ対立、左翼運動など当時の社会状況の中での格闘を描く。ただ、軸となる三宅の父親捜しや、吉野の病状の成り行きなどが明かされる前に物語は途切れる。

 長崎市生まれの野呂は小学2年の時、疎開先の諫早市から原爆を見た。長崎時代の同級生の多くが命を落とした。主人公にも野呂の思いが色濃く投影されている。野呂を評論した著作があり、作品集の解説も担当したエッセイスト中野章子さん(71)=長崎市出身=によると、野呂はデビュー間もない頃から構想を練り、作家人生を懸けて書き続けた。ただ、74年の芥川賞受賞後、仕事が急増。中野さんは「思いが深いゆえに執筆は難しく、忙しくなって時間を割けなくなったのでは」と推測する。

 基になった原稿は死後、野呂の母親から担当編集者だった豊田健次さん(81)=東京都在住=に渡った。豊田さんは出版を模索したが、未完のため断念。2000年ごろに遺族に戻していた。文遊社は「作家を理解する上で重要な作品」と作品集への収録を決めた。

 豊田さんは「原爆は大事にしてきたテーマで、力作になっている。ただ、推敲(すいこう)を重ねる作家なので未完はさぞ無念だっただろう」。中野さんは「野呂さんは反戦、反核などの発言をすることが少なかったが、この作品では異議申し立てをしている。今読んでも色あせていない」と話している。


 野呂 邦暢(のろ・くにのぶ) 1937年、長崎市生まれ。諫早高卒業後上京し、さまざまな職業を経験。65年に文学界新人賞佳作を受けてデビューした。74年、自衛隊勤務経験を基にした「草のつるぎ」で芥川賞を受賞。代表作は幕末の諫早を舞台にした「諫早菖蒲(しょうぶ)日記」(76年)など。80年に心筋梗塞のため42歳で死去。

=2018/05/27付 西日本新聞朝刊=

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