九大ファントム墜落50年 機体引き下ろしは当時の「学長が指示」 半世紀の謎、解明

米軍のファントム機が、建設中の九州大大型計算機センターに墜落。ビルを炎に包んだ=1968年6月2日
米軍のファントム機が、建設中の九州大大型計算機センターに墜落。ビルを炎に包んだ=1968年6月2日
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 ベトナム戦争中に米軍板付基地(現福岡空港)へ向かっていた米軍のファントム機が、福岡市の九州大箱崎キャンパスに墜落してから2日で50年を迎える。事故を巡っては、建物に突き刺さった機体が約7カ月後に突然引き下ろされる“事件”が発生。これまで謎とされていた「指示者」について、九大大学院の折田悦郎教授(大学史)が「当時の水野高明学長(故人)だった」とする研究成果をまとめた。関係者の証言が得られたという。

 ファントムは1968年6月2日夜、建設中の大型計算機センターに突っ込み、炎上した。事故を機に、水野学長が先頭に立って市内をデモするなど、学内外で抗議の動きが広がり、板付基地撤去を求める世論が高まった。

 一方、機体を撤去してセンター建設を続けたい大学側と、反基地運動の象徴としたい学生側が激しく対立。学生は、機体周辺にバリケードを張り抵抗した。ところが翌年1月5日未明、「謎の集団」が重機を使い機体を引き下ろした。

 後に集団は土木業者だと判明したが、誰の指示だったかは不明。学内に調査委員会も組織されたが、判明しなかった。水野学長の関与は当初から疑われたが、記者会見で「引き下ろしは予想外。大学のメンバーは関与していない」と発言。直後に学内混乱の責任をとって辞任し、96年に亡くなるまで関与を認めなかった。一方、当時の法学部長(故人)が関与を名乗り出たが、証拠はなかった。

 関係者への聞き取りなど調査を続けていた折田教授によると、ある九大名誉教授から「水野学長の研究室関係者」が事に当たり、「当日は、作業状況の確認のためのグループも組織された」などの具体的な証言が得られたという。

 折田教授は「学生が抵抗する中で、『大学の自治』を守るため、外部の介入を受けないよう自ら解決を図ったのだろう。自分の指示で動いた研究室の後輩を守るために口外できなかったのではないか」と推測している。

 折田教授の研究成果は、反基地運動を担った当時の学生らでつくる市民団体「九州近現代史研究会」がまとめた記念誌「あの日 あの時 この時代」に収録されている。同研究会は2日午後2時から、箱崎キャンパス文系地区中講義室で、当時を振り返るシンポジウムを開き、記念誌も販売する。呼び掛け人の森山沾一(せんいち)・福岡県立大名誉教授は「われわれの闘いの教訓を次世代に引き継ぐ機会にしたい」と話す。

=2018/06/01付 西日本新聞朝刊=

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