「頑張らんね」娘の声を心に 遺族代表・朝倉市の渕上洋さん 九州豪雨1年

献花を終え、母公子さん(左)に寄り添って席に戻る渕上洋さん=5日午前11時36分、福岡県朝倉市杷木久喜宮のサンライズ杷木
献花を終え、母公子さん(左)に寄り添って席に戻る渕上洋さん=5日午前11時36分、福岡県朝倉市杷木久喜宮のサンライズ杷木
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 かつてない大雨が土砂や流木を押し流し、濁流となって多くの命を奪った九州豪雨から1年。福岡、大分両県の被災地では5日、犠牲者をしのび、古里の再興を誓って人々が祈りをささげた。「負けてられん」と涙をこらえる遺族。「いつかは」と、地域に愛された店の再建を誓う夫婦。被災地には「あの日」を思い起こさせる雨が降り続き、避難所に身を寄せた住民たちはまたも不安な夜を過ごした。

 思い出すと涙が出る。だから追悼式への出席も、遺族代表として追悼の言葉を述べることも、一度は断った。それでも引き受けたのは、娘の声が聞こえたような気がしたから。「お父さん、頑張らんね」。臨月だった娘と孫、妻を失った福岡県朝倉市黒川の農業渕上洋さん(66)は「そうやね。負けてられんばい」。こらえて、こらえて、1年-。

 5日早朝、山間部のイチジク畑。作業着姿で収穫に精を出す渕上さんは、出荷ケースに並べたイチジクを運び、「いつも通りよ」。強まる雨も気にせず、軽トラックに乗り込んだ。

 3時間後、喪服に着替えて追悼式会場に到着した渕上さん。みなし仮設でも、ナシ畑でも一緒の母公子さん(89)に、いつも通り寄り添っていた。だが、「出るからには、しゃんとせんと好かん」。式が始まると表情に厳しさが加わった。

 本当は避けたかった遺族代表の原稿も「一番集中できる」というナシ畑の小屋で完成させた。農作業の休憩中に、段ボール箱の上にカレンダーの裏紙を置き、ボールペンで書いては消し…。「涙がぼろぼろ出ると」。追悼式会場でも直前まで原稿に手を入れた。

 元の原稿は「妻、娘、孫の3人を亡くしました」。そこに家族の名前と、生まれてくるはずだった命の証しを刻みつけた。「妻の麗子、娘の由香理、孫の友哉、そして娘のおなかの中に1カ月余りで誕生することになっていた第2子の孫、4人を亡くしました」

 壇上で涙はこらえた。だが、母の隣の自席に戻った瞬間、あふれた。うつむいたのは、ほんの数秒だった。

 式の後、親族と自宅跡を訪れた。雨が強さを増し、ビニール傘をたたく中、花を手向けた。この時、特別な言葉は掛けず、こう誓うだけにした。「立ち止まっとったって、へげん(いけない)もんな」。心の対話はいつでも、どこでもできるから。

=2018/07/06付 西日本新聞朝刊=

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