「占勝閣」米軍が戦後接収 世界遺産の長崎造船所迎賓館

長崎市が米国で入手した終戦後の占勝閣の写真。「ウィリアムズ大佐の家」と書かれていた=長崎原爆資料館提供
長崎市が米国で入手した終戦後の占勝閣の写真。「ウィリアムズ大佐の家」と書かれていた=長崎原爆資料館提供
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 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」を構成する三菱重工業長崎造船所の迎賓館「占勝閣」(長崎市)が終戦直後に米軍に接収され、軍幹部の自宅として使われていたことが、長崎市が入手した米国立公文書館の写真で判明した。この写真は23日から、市内の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で初公開される。

 占勝閣は木造2階建ての洋館。1904年に建築され、皇族や建造を依頼した船主をもてなした。49年には昭和天皇が九州巡幸中に宿泊した。

 長崎市は長崎平和推進協会写真資料調査部会と合同で、2013~15年度に米国で被爆に関する写真を収集した。その中に1945年10月4日撮影の「ウィリアムズ大佐の家」と書かれた写真を発見。建物の形状から占勝閣と判断した。米軍に接収されたことは、三菱や地元関係者に知られていなかったという。

 長崎造船所は戦艦大和と同型の武蔵を建造したことで知られる。活水女子大の下川達弥特別教授(考古学)は、米軍幹部が造船所内で暮らしたのは「日本の造船技術に関心を寄せた証拠」と分析。同部会の松田斉部会長は「被爆に続き、占領という試練にさらされたことを示す資料」と話す。

 当時の占勝閣の写真は、写真展「被爆後の長崎、米軍占領の記録」で8月3日まで展示される。

=2018/07/21付 西日本新聞夕刊=

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